クリスマス。
恋人と過ごす人もいるだろう。
家族と過ごすのもいいかもしれない。
とにかく、クリスマスは大切な人とゆっくりと過ごせばいい。
――――そんなことは分かってる。
「日野」
「うわっ。いったーい」
「あ、悪い。そんなに痛かった?」
「えっ?」
2学期の終業式。
すぐに帰れるかと思いきや、いきなり担任にゴミ捨てを頼まれ、捨て終わった教室までの帰り。
いきなり後ろから肩を叩かれた。
振り向いてみれば、
「長柄先輩!?」
「お前、怪我ない?手加減はしたつもりだったんだけど」
「大丈夫ですッ」
いったーいとか、物凄く痛そうなこと言っちゃったよ!
そりゃ痛かったけど、でもあんな声出すほどじゃないのに!
「そっか?ならいいけど」
「ええっと、何か私に用事でも?」
「うん、ちょっといいかな」
そう言うと、そのままゴミ箱を取り上げられる。
「はい?」
「これ、教室のだろ?持ってってやるから。2組だよな」
なんでいきなりこんなこと?
「で、話って言うのはさ」
教室まで歩く間、そう切り出される。
「明日のイヴ、暇かな」
「・・・・・・どうせ、午後からなら空いてますよ。午前中はヴァイオリンのレッスンが入っているんですけど」
「うわ、悪かったって。機嫌直せよ。・・・・・・・・・で、さ。それならちょっとだけ付き合ってくれないか?」
「ええっ」
え、それってどういう・・・?
「友達の家でクリスマスパーティーっての?なんかそんなんやるらしくて。別に俺一人で行ってもいいんだけど、周りみんな彼女連れで、男一人だと行きにくいんだよ」
「はあ・・・」
「あ、だけど別に断ってくれて構わないんだ!ダメなら、一人で行けばいいだけの話だし」
見栄に付き合わされたら日野もいい迷惑だよな、と苦笑いしている。
これで一緒に行ったら、たぶん本当に見栄に付き合うことになるだけなんだろう。
でも。
『ダメなら、一人で行けばいいだけの話だし』
私以外誘うつもりないということだろうか?
でも、きっと気を遣ってくれたのかもしれない。先輩はそういう人だから。
ここで誰でもいいからなんて素振りは見せられないから、そう言ってくれてるだけだ。
「・・・いいですよ、午後からですね?」
そう言われたら、見栄のためだけだと言われても、分かっていても付いて行きたい。
期待はしちゃいけない。それは分かってる。
それでも、一晩限りだったとしても、先輩の『彼女』でいられるのは素直に嬉しいから――。
長柄芹一先輩。
普通科3年生で、サッカー部員。
面倒見がよくって、もうサッカー部は引退したのに未だに土浦くんなんかとつるんでいる姿を見かける。
思えば、私たちが話すようになったのも、先輩の気さくな性格があったからのような気もする。
春のコンクールでいきなりヴァイオリンを渡された私は訳が分からなくて、とにかくがむしゃらに練習するしかなかった。
どうしても弾きたい曲があってもレベルが合わなくて辛かった時期もあった。
たった1ヵ月半。
それだけの時間だったのに、何度泣きたくなるほど自分の実力のなさに苛立ったことか。
そんな時。
決まって私の隣にいてくれたのは、コンクール参加者でもないのに妙に親身になってくれた長柄先輩だった。
音楽のことは分からないけど。
そう言いながらもいつも隣にいてくれた。
いつからだろう。
隣にいてくれるのが当たり前になりすぎていたのは。
心から安心して隣に居られる存在になったのは。
「お、遅れずに来たな」
パーティーは5時頃から始まって、8時頃には終わる簡単なものらしかった。
だから、待ち合わせは近くの駅でということになったのだが。
これって、本当にデートみたいとか思ってもいいのだろうか。そんな心配をしていたら、
「結構楽しみにしてくれてた?」
からかうようにそう言われる。
「そんなことないですけどッ」
言えるわけないじゃない。
ヴァイオリンのレッスンを早めに切り上げてもらって、すぐに待ち合わせの場所へと急いだ。
必死になって昨日の夜選んだのは、持っていた中では一番パーティーに向いていそうだったグレーのベビードールワンピースだった。
あまり派手だといけないからとモノトーンで選ぼうとしたら、それしか見つけられなかった。
普段出かけるのに着ようと思っていて、でもそれにしては気負いすぎている気もして、なかなか着られずにいた物だった。
私にしてはまともなものを選んだと思うんだけど・・・。
「へえ・・・」
しげしげと見てくる視線に耐えられない。
え、これはダメ? 引かれた? もっとカジュアルにしてきた方がよかった? それとも逆!?
先輩を見てみれば、いつもよりはしっかり決めてきているとは言え、普段着だと言われればそうですねと頷くしかないほどカジュアルだ。
ああ・・・失敗した?
「似合ってるんじゃない?」
「へ?」
「いや、日野のそういう格好、初めて見たから。正装した姿か、制服姿しか知らなかったんだよな、俺」
似合ってるよ、そう言って笑ってくれたから。
なんだかもう、気負いすぎたかなとか気にならなくなっていた。
とにかく、今日は先輩の隣で『彼女』の振りしていればいいんだ。
して、いいんですよね?
先輩の友人だという、宮沢さんの家に着くと、確かに恋人同士だと思われる人たちが何組もいた。男の人一人だけだった人もいたけれど。
「芹一、よく来たな。お前、ぜってー行くか!って言ってたから、来ないもんだと思ってた」
宮沢さん、だろうか。
入るなり、すぐに長柄先輩に話しかけた。
「・・・まあ色々あったんだよ。来たんだからいいだろ? 日野、紹介する。従兄弟の晶。毎年、ここの両親が揃ってヨーロッパ旅行で家空けるからって、好き勝手友達呼んで騒いでる馬鹿」
「初めまして、日野さん。芹一がお世話になってます」
「こちらこそ、お世話になってます」
慌てて頭を下げると、先輩と同じ爽やかな笑顔が返ってくる。
「それにしても、」
晶さんが、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら長柄先輩をからかう。
「お前、こんな可愛い彼女持って不安にならねえ?競争率高かっただろ」
「まあな」
え?
「って言うか、ほっとけよ。お前、他の客の相手してろって」
動物を追い払うように、晶さんを追いやる。
「ほら、日野。こっちに食事、用意してあるから」
自然と手を引かれて、リビングへと通された。
じっくり周りを見ていると、呼ばれているのは20人弱ほどだった。
晶さんのご両親が何をしているのか知らないけれど、その20人が余裕で納まってしまうほど広いリビング、それだけの食事を用意しきれてしまう広いキッチン。
「すごいですねえ」
「この家?手広くやってるみたいだからなあ。これ、クリスマスだからこの人数しか呼んでないけど、正月になったら親戚一同ここに集まるから。俺も、また何日かしたらここ来るよ」
「年末年始はパーティーばっかりじゃないですか」
笑うと、疲れたようにその通りとげんなりした声が返ってくる。
「でもこれ、20人はいますよね。それでも入りきっちゃうんですか」
「入ってるな、毎年。おせちも手作りらしい」
「え、それは凄すぎですよ」
和やかな雰囲気のまま、時間は流れて行く。
BGMのクリスマスソングも、もう数曲は過ぎた。
「クラシック、好きなんですかね、晶さんのご両親」
「どうだろ。数は持ってるみたいだけど。でも、何か弾いてやったら伯父さんたち喜んだかも」
選曲を聞いていると、たまにクリスマスソング以外のものが混じっている。
敢えてそうしているのか、ただ適当に選んだのかは分からないけれど。
その曲が、物凄くコアだったりする。
クラシック好きなら誰もが知っていそうだけれど、聴いていないと知らない曲だったりすることが多い。
たとえば。
「あ、この曲・・・。よくこんなマイナー曲かけますね」
「え」
「これ、マレーの5つの古いフランス組曲ですよ。マイナーな作曲家ですけど、この人の書いた組曲のロンド好きなんです」
「マレー?初めて聞いた」
「クリスマスとは全然関係ない曲ですよ。マレー自体も、私の知っている限りクリスマス関係の曲とか書いてませんし」
それに、こんな曲普通は知らないだろう。
私だって偶然聞かなければ知らなかった。
「こういう曲掛かると、クラシック好きって結構多いんだなあって嬉しくなります」
「そう?」
「はい。それに、私と好きな曲の傾向似てそう」
合間合間に掛かる曲は、フランスの曲が多い。
「クリスマスに合ってるかどうかは微妙ですけど、こういうゆったりとした曲とかって恋人同士の雰囲気には合ってると思いますよ」
フランスの曲ってそういうの多いです、そう言うとそんなもんか?とイマイチわからなそうにしている。
「・・・・・・って、こんな話ばっかりですみません。飽きませんか?」
「大丈夫、お前と話してるのは楽しいから」
音楽の話なんて興味もないだろうにこうしてフォローしてくれる。
こういう時、ああ失敗したなあと思うと同時に、やっぱり好きだと思う。
楽しいと言って貰えるだけで、こんなにも嬉しい。
「俺、コンクールの参加者たちみたいに音楽の話題でお前について行けないときとかあるけど、分かりやすく噛み砕いてくれるじゃん。まあ、作曲家のこととかはさすがに噛み砕けないけど、他のこととかはさ。だから、話してるの見るのも好きだし、話してても楽しい」
そこまで言ってから、慌てたように付け足す。
「別に気ぃ遣ってるとかじゃないから」
「ありがとうございます」
こうやって一生懸命な人だから。
私はこの人が好きで仕方ないんだろうなと思う。
それから晶さんがまた来たり、招待された人たち数人と少し言葉を交わしたりしていると、あっという間に7時半を過ぎていた。
もうそろそろ帰る時間だったりする?
少しだけ。もう少しでいい。このままでいたい。
ここにいれば、たとえ振りだけでも、みんなに先輩の彼女として見てもらえる。
初めにここに来て晶さんにからかわれた時。
彼女と言われても否定しなかったのは、ただ触れて欲しくないだけで、スルーしただけかと思った。
分かっていたことだし、別に落ち込みはしなかった。
その後、何人かに声をかけられたときも否定しなかった。
それがただスルーしているだけなのかどうなのかは分からないけど、クリスマスを先輩と過ごしている上に、彼女として扱ってもらえるこの時間が過ぎていくのが惜しかった。
「日野、疲れてない?」
ああ・・・・・・帰る時間、なんだ。
「大丈夫ですよ。ええっと、帰る時間ですか?」
「いや・・・よければさ、ちょっと外出ない?ここ人多過ぎで」
「? いいですよ」
外はやっぱり寒くて、空気が澄んでいた。
「うわ、先輩、星。星見えますよ」
はしゃいだ声をあげると、苦笑される。
「星って・・・山行けばいくらでも見られんだろ。それより、お前それで寒くないか?」
連れ出しといてなんだけど。
言いにくそうに付け足された言葉に、私も苦笑してしまう。
「大丈夫ですって。ほら、ジャケット羽織ってますし」
寒そうだと思ったのか、外に出る時に来ていたジャケットを羽織らせてくれた。
「ならいいけど。 どうだった、今日楽しかった?」
「はい! 先輩と休日に一緒にいるってこと今までなかったし、先輩の私服は新鮮でした」
「・・・そっか」
それからふっと笑う。
「俺も楽しかった。パーティーとかさ。やっぱりそれも楽しかったんだろうけど、日野とこうしていられたのよかったなって。お前にとっては迷惑だったかもしれないけど、」
笑いながらも、少しだけ寂しそうにして視線が逸らされた。
「迷惑だったかなって思うけど、すっげー嬉しかったんだ」
「はい?」
「彼女役、やってくれてありがとう」
あ・・・。
自分で何度「彼女の振り」って言ってても傷つかなかったのに、改めて先輩に言われると・・・、結構傷つくかもしれない。
今までの生活の中での私への接し方と何が違ったってことはなくても、それでもいつもより甘やかされてる気はしてた。
本当に些細な違いで、気に留めるほどでもないものだったけど。
「い、いまさら気にしないで下さい。私も、初めてクリスマスを家族以外と過ごせて楽しかったですから。いい思い出になりました」
傷ついたのは私の勝手で、先輩は元々彼女の振りを頼んできたんだから、傷ついちゃダメだ。傷ついたとしても、それは見せちゃダメだ。
「来年は、先輩もちゃんとした彼女作って、代役なんか頼んじゃダメですよ?」
こうして馬鹿な私みたいな人が勝手に馬鹿みたいに傷つくから。
先輩は優しいから、勘違いしてしまう。
ああもう、バカバカ言ったせいだろうか。
――なんだか、泣きそうだ。
今、どんな顔してるだろう。ちゃんと笑えてる?
「じゃあさ」
妙に真剣な表情で先輩が口を開いた。
そして、少しだけ開いていた差が、先輩が1歩私に近づいたことで一気に詰められた。
「来年は、代役じゃなくこのパーティー来てくれる?」
―――――え?
「俺の彼女になってくれる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・泣きそうな顔してましたか?」
唐突にそう聞く私に、少し戸惑ったようにしながらもコクと頷く。
やっぱり笑えてなかった。心配かけてしまった。
「いいですよ?気遣ってくれなく――」
「そんなんじゃない」
「!」
「―――そんなんじゃないよ。日野がなんでそんな風に思うのかしらないけど、俺は別にお前が泣きそうだったからとか、そういうことで言ってるんじゃない」
詰められた差はほとんどなくて、一歩も動けなかった。
「言ったじゃん? 嬉しかったって。日野のこと彼女って言われて否定しなくていい。日野だって、笑ってそれを肯定してくれてて。今晩一晩限りだけど、いい思い出になるなって思ったんだよ」
同じこと思ってくれていた?
否定しなかったのは、スルーしただけじゃないって思っていい?
「でさ。そう思った時に、今晩だけか、ってすっげー現実突きつけられて。正直、少し落ち込んでた」
そう言う先輩は、いつもの先輩からは考えられないほど静かで。
一瞬、目の前の人は誰だろうとさえ思ってしまう。
「今日楽しかったって言ってくれて、出てきたのって俺のことだけだっただろ。それが嬉しかった俺って勘違いしすぎたかな」
「え・・・」
先輩と休日に一緒にいるってこと今までなかったし、先輩の私服は新鮮でした。
気付かなかった。
パーティーに来て、これだけ騒いで、それでも無意識に出てきた言葉はその言葉だった。
「俺じゃ、だめ?」
今度こそ、勘違いのしようもないほど真剣な響きを持っている言葉だった。
私の片想いだと思ってた。
優しくしてくれるのは先輩の性格で、これに誘ってくれたのは先輩の気まぐれで。
そう思っていたから、なおさらこれが現実だと思えなかった。
それでも、響いた声は真摯で、真っ直ぐで、やっぱり大好きな声で。
「ダメ、なわけないじゃないですか」
ああ、やっぱりもう泣きそうなんですけど。
笑ってそう言おうとした唇は、そのまま先輩に塞がれていた。
「いきなりごめん。うわ、すっげー嬉しいよ」
今度は思いっきり抱きしめられる。
痛いくらいの強さで、身じろぎ一つできない。
「―――最高のプレゼントをありがとう・・・」
耳元で囁かれた言葉は、私にとっての最高のプレゼントだった。