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暖かい春の日差し

『白樫高校卒業式』―――。
 そう書かれた看板を見て、ふと僕自身の高校の卒業式を思い出そうとしてみた。

(あ、・・・思い出せない・・・)

 自分自身の淡白さに苦笑が漏れた。




 今日は、僕の事務所――『深水弁護士事務所』――で働いてくれている2人の卒業式に来ている。
 一人は、ずっと一緒に暮らしている内木順くん。
 今日は、内木くんの父兄としての参加だった。
 そしてもう一人は、音宮真菜さん。約1年前に真菜さんの後輩の痴漢相談を受けたことがきっかけで知り合った女の子。
 事件の後から事務所に出入りしてくれて、今は正式にアルバイトとして働いてくれている。
 真菜さんは早々に推薦での大学受験が決まっていたから、一般試験組の内木君の代わりによく働いてくれた。
 それに、僕の大切なたった一人の恋人だったりもする。
 今日は、そんな二人の卒業式だ。
「・・・体育館は・・・こっちかな」
 校門前で渡されたパンフレットと、周りを歩く父兄の流れに乗って体育館を目指した。





「音宮・・・少し落ち着いたらどうだ?」
「でもー・・・ようやく、卒業式だよ?長かったような短かったような・・・高校生活って、こんなに呆気なく過ぎて行くんだね・・・」
 涙目状態の真菜と、他のクラスの列からわざわざ出張して1組の真菜を慰めに来ている順。
 順と真菜が親しくするようになって1年近くが経ったが、未だにそれに驚く同級生がいる。
 今も、普段不機嫌に見える順が困ったように真菜を慰めている姿に驚く者多数だ。
「今からそんな顔でどうするんだ。先生も来てるんだぞ」
「うっ・・・」
「仮にも『彼氏』に、涙でぐちゃぐちゃな顔、見せてもいいのか?」
「か、顔洗ってくる!!」
 もうすぐ入場ではあるが、さすがにあの顔を先生の前で晒させるのは忍びない。
 急げよ、とだけ声を掛けて、順は自分の列に戻って行った。





「深水、さん?」
「え?・・・・ああ、音宮さん、お久し振りです」
 遠慮がちに声を掛けられて振り向くと、そこにいたのは真菜さんのご両親だった。
 お父さんの方は見たことはなかったが、数ヶ月前、僕と真菜さんが付き合い始めた日にお母さんの方とは顔を合わせたことがあった。
「深水さん?・・申し訳ない、どこかで会いましたか?」
 お父さんが申し訳なさそうに言う。
「いえ、お会いしたことはありませんが、真菜さんの方からお話は伺っていて。初めまして、弁護士をしています、深水恭介と言います」
 ・・・・・・・・で、いいんだよな・・・?
 真菜さんが僕のことをどうご両親に伝えているか分からないから、下手な自己紹介ができない。
 先に聞いておけばよかった・・・。
 たった一人の大事な娘の卒業式だ。もちろんご両親揃って出席されるだろう。
 なんでそのことに思い至らなかったのかと、昨日真菜さんに会った時の自分を呪いたくなった。
「弁護士?」
「ええ、真菜のアルバイト先の弁護士さんよ」
 にこやかに真菜さんのお母さんがフォローを入れる。
「真菜は弁護士事務所でバイトしているのか?」
「あの、もしかしてご存知では・・・」
 控えめに聞くと、困ったような顔をされた。
 知らなかったのか。
「いや・・・バイトで忙しいのは知っていたんですが、さすがに弁護士事務所とは・・・知っていたのか?」
「当たり前じゃないですか。大丈夫、変に事件に首を突っ込んでいるわけじゃなさそうですし、何よりも深水さんがいるんですから」
「はは・・・そう言って頂けると嬉しいです。僕自身、できないことばかりで、真菜さんには本当に助けられています」
 真菜さん、お母さんは僕たちのこと知ってるんですか、知らないんですか・・・!
 この口調から考えて、お母さんは知って――
「いえ、真菜も楽しんでいるみたいですよ。人間的に尊敬できる人だといつも言っていますから」
 ・・・・・・・・・・・恋人とは紹介してくれていないんですか・・・。
 拗ねたくなる気持ちを抑えて、いつもの笑顔を取り戻す。
「僕も真菜さんが来てくれるのが楽しみなんです。将来法曹界に関わる仕事をしてみたいとまで言ってもらったりしますから」
「真菜がそんなことを?」
 お父さんが驚いたように口を挟む。
 大学は元々の推薦もあって法学部進学は無理だったが、法曹界に関わる仕事は弁護士や検事、裁判官だけではない。
 資格はなくとも弁護士事務所で働くことは可能だ。
「ええ。将来のことをしっかりと考えていますよね。パラリーガルがいいかもしれないと言っていました」
「パラ・・・?」
 馴染みのない言葉に、ご両親揃って首を傾げる。
「ああ、すみません。パラリーガルと言うのは――」
『御出席下さいました父兄の皆様、卒業生の入場準備が整いましたので、間もなく入場となります』
「残念。時間ですね。深水さん、私たちは向こうに座りますので、また後ほど」
「はい、では」
 笑顔で別れて、1つ空いている席に腰掛けた。
 別段気にせず、いつもクライアントに接しているくらいの気持ちでいたはずだったのに、少し気を抜くとよく分かる。
――緊張した・・・・。
 真菜さんのお父さんとお母さんだ。
 お母さんの方にはお会いしたことがあるとは言え、片手で数えられるほどだし、お父さんの方は初めてだ。
 真菜さんが僕をどう言っているかも分からない中での挨拶は怖い。
 でも、難なくとは言いがたいけれど、それなりの対応はできたと思う。
 あとで真菜さんから話を聞いておかないと・・・。
 はあ、とため息をついたところで、入場の音楽が体育館に鳴り響いた。









「深水さんっ」
「おや、真菜さん。卒業おめでとう」
「ありがとうございます!」
 長かった卒業式がようやく終り、外に出ると父兄に混じってちらほらと卒業生が見えた。
 教室に戻る前に、親に会いにでも来たのか。
 そう思っていると、後ろから可愛らしい声が掛けられたのだった。
「目が赤いですね、やっぱり泣いてしまったんですか?」
「う。だって、一生に一度きりですよ?」
 バカにされたと思ったのだろう。必死に言い立てている。
 そんな子供っぽい姿も可愛らしい。
 そして、そんな一生懸命さも愛しい。
「分かってます。別にバカにしたわけじゃない。泣けるほどの思い出があるのは羨ましいなって話です」
「え?」
 きょとんとした表情の後に、失敗したと言うような表情に変わった。
 高校時代の話をしたことはないけれど、あまりいい話ではないと分かっているのだろう。
 こういう時、むしろ、こちらが失敗したと思う瞬間だ。
「そんな顔することないですよ。高校時代のことをあまり思い出せないからと言って、別に記憶喪失でもないですし、今が不幸でもありません」
「記憶喪失って・・・極端な・・・」
 そう言って、ほんの少しだけ苦笑した。
「はい、笑っていてくださいね、真菜さんは。真菜さんの笑顔が僕は一番好きですよ」
「か、からかってますか?!」
「本当ですよ、ほら、怒らない怒らない」
 ここで、怒った顔も可愛らしいですけどなどと言おうものなら、なおさら子供扱いだバカにしただと怒られそうだ。
「それよりも、教室。戻らなくていいんですか?」
「教室・・・?――忘れてた!」
「しっかりしてください」
「すみません・・・」
「とにかく戻った方がいいんじゃないですか?僕はずっとここで待ってますから、行ってらっしゃい」
「――はいっ」




 小走りに校舎へと戻って行く彼女の背中を見送りながら思う。
 彼女と違って、別に高校時代を涙を流して惜しむほど楽しい場所だとは思わなかった。
 こんな場所なくなればいいとは思わなかったし、こんなつまらない場所消えればいいとも思わなかった。
 でも、楽しいとは欠片も思っていなかった。
 僕にとっては意味を成さなかった「高校」と言う場所で、泣くほどの何かを彼女は得られたのだろう。
 友情かもしれないし、僕から見たら宝石のようにさえ思える思い出かもしれない。
 とにかくこの白樫高校は、彼女にとって意味のある場所だったのだろう。
 自分のことではないのに、それがこの上もなく嬉しい。
 彼女が、意味のある時間を過ごせていたと言う、たったそれだけのことが。
「真菜さんがうつってしまったかな」



 見上げた空は本当に青くて、3月とは思えないほどぽかぽかと暖かい。
 柔らかく、暖かく、ゆったりと。
 ねえ、真菜さん。あなたたちのの門出を太陽さえもお祝いしていますよ――?




恋の六法全書から、深水×真菜。
ほのぼのしたこの二人のやり取りが好きです。深水優秀っぽくないのも可愛い(笑)
恋愛EDにならなくても、可愛い感じで好きでした。
◇ starry-tales 〜春の優しい〜
掲載: 08/05/11