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おねだり

「さあ、今日はここでお別れだよ。今晩も冷えるからね、気をつけて」
「分かってます」
 ほとんど毎日のように言う僕の言葉に、アンジェがくすくすと笑みを漏らしながら頷く。
「本当かなあ?聞いてるよ、ニクスさんから。レイン君の研究に付き合って夜遅くまで起きてるそうじゃないか。早めに暖かくして寝るんだよ、って言っても聞いてくれない」
「それは・・・ええっと、レインも熱中したら止まらないタイプだから心配で」
 彼に親身になるアンジェの気持ちは分からないでもない。
 彼はいい青年だし、冷静に見えて実際は僕と似たところもあるんだろう。
「でも、もう少しで一段落着きそうだって話なんです」
「うん、分かってる。僕はただ君が心配なだけだ」
そう言うと、困ったようにしながらも笑って頷く。
「まあいいよ。アンジェが優しい女の子だってことは分かっているから。・・・ああ。そうだ。また少し仕事が立て込みそうだよ」
「お仕事?私よりもベルナールさんの方が体を壊しそうですよ」
「心配してくれるの?嬉しいな。気をつけるから大丈夫だよ。でも、2週間もすればきっと休みは取れるから。そうしたらまた一緒に出かけようか」
「はい!」
嬉しそうにしてくれるアンジェにつられて、僕もふと微笑う。
「・・・おやすみ、アンジェ」
 そっと抱き寄せて頬に口付ければ、少しくすぐったそうにしながらも笑ってくれる。
「おやすみなさい、ベルナールさん」





 あと2・3日で仕事が片付くから、そうしたらまたデートしよう。
 たまたまレイン君と一緒に社に寄ってくれたアンジェにそう言ったのは、既に5日前のことだった。
 他の社員やレイン君の手前、あからさまではなかったにしろ、嬉しがっていたのは良く分かった。
そう思ってくれたのが嬉しくて、俄然やる気も起きた。
アンジェとは婚約も済ませて、少しずつではあるけれど結婚式の準備も進めている。
僕自身には結婚後の生活の方がとても楽しみで魅力的に思えるけれど、アンジェはこの時期が一番楽しいらしい。
毎日のようにニクスさんに料理を教えてもらっただとか、ヒュウガとドレスのレースのデザインをしてみただとか、この上もなく楽しそうに話してくれる。
いつもアンジェの隣にいるのは自分以外の男だと言うことに嫌でも気づいてしまうが、そうする理由は自分にあると思えば少しは気が紛れた。
が、自分だけ紛れていても仕方ない。
デートの約束をしてからもう5日間連絡出来ていない。2週間と最初に区切ったのに、もうその2週間もとうに過ぎた。
仕事だということは分かっているからだろう。
仕事の邪魔にならないようにと社に遊びに来ることもない。
この仕事さえ終われば、と思った矢先から次々と仕事が降ってきて、結局アンジェを構ってやれなくなってしまう。
こんなことがしょっちゅうなのにも関わらず、笑顔で迎えてくれるアンジェに、ふと辛くなった。




「アンジェ、ぼうっとしてどうしたんだ?」
サルーンでぼうっと座っているアンジェにレインが声をかける。
論文が一段落してようやく姿を見せたレインが一番に目にしたのは、本を開いてはいるのに読んでいる気配のないアンジェだった。
「え、レイン?論文は?終わったの?」
「いや、もう少しってところかな。何か飲み物でも――と思ったんだが」
「じゃあ、今淹れるわね」
 ぱたんと本を閉じる。
「いや、いい。本、読んでたんだろ?」
 そうは見えなかったが、一応言ってみる。
「あ――ええ、読んでいたんだけど、内容が入ってこないから、もういいわ。それより、アップルパイも焼いてあるのよ。レインが下りてきたら一緒に食べようと思って」
 今度こそ、止める暇もなくパタパタと駆けて行った。



 ぱたぱたと駆け去ったアンジェは、ティーセットとアップルパイを乗せた小皿を持って、すぐに戻ってきた。
「どうぞ。美味しいかどうかは分からないけど」
「お前が作ったんだ、そりゃ美味いだろ」
 それならいいけど、そう笑うアンジェにレインはやはり違和感を覚える。
 別段変わったところはない、と思う。
 それでも、どことなく元気ない気がする。
 アンジェリークの悩みそうなこと。
 なんだろう。
 寂しいけれど、アンジェリークは結婚を控えていて、楽しそうに過ごしている。
 この間も、ベルナールに逢いに行った時は、この上もなく嬉しそうに笑っていたくらいだ。
「うん?何か私の顔についている?」
「え、あ、いや」
 見つめすぎた、と視線を外す。何をやっているんだ。
「なあに?どうかしたの?」
「どうかしたのって・・・どうかしたのは、お前じゃないのかアンジェ」
 きょとんとカップを両手で持っている姿も可愛らしい――――とか考えてる場合じゃないだろう、俺。
「私は普通よ?」
「それは・・・そうなんだが・・・・・。何か悩みごとでもあるんじゃないのか?」
「悩んでいるってほどではないわ」
「でも、何か問題はあるんだろ?俺に相談しにくいなら、――――ああ、ベルナールでもいいから、相談したらどうだ?」
 名案だと思って、そう言ってみる。
 が、予想に反してアンジェは寂しく笑うだけだ。
「・・・ベルナールじゃダメなのか?」
「仕事で忙しいから。私に構っている余裕はないんじゃないかしら」
「お前のためなら時間くらいいくらでも作りそうだけどな」
「作ってくれようとしてると思うわ」
「・・・・・・・・・・そんなに忙しいのか?」
「そう言っていたもの」
 ようやく、なんとなく分かった。
「――――寂しいか?」
「――――――――――大丈夫」
 俺の前でくらい、無理することはないのに。





 翌日。
 アンジェの寂しそうな表情は忘れられそうもなかったが、朝からアンジェはできるだけいつもの通りに振舞うようにしているようだった。
「アンジェリーク、ちょっといいですか」
「はい?」
 その場の全員が、いきなり声をあげたニクスに視線をやる。
「アンジェリークに今日はプレゼントがあるのですよ。聖夜も近いことですし」
「プレゼント、ですか?」
 聖夜だからといってプレゼントを渡す慣習はないはず。
「聖夜にプレゼント?陛下に祈るだけだろう、普通」
 そう声をかけてみると、ニクスは気にした様子もなく続ける。
「レイン君ならそう言うと思っていましたけどね。確かにそうです。祈るだけでいいとは分かっていますが、実際目の前に元陛下候補がいるのですから、何か捧げたくなりませんか?」
「そうだね、オレは用意はしていなかったけど、その気持ちは分かるかな」
 ジェイドが同意すれば、ヒュウガも続く。
「・・・私も用意はしていないが、気持ちは分からなくもない」
 分からなかったのは俺だけらしい。
 アンジェはアンジェで、結局女王にはならなかった人間だろう。
 元からそこまで神聖視するほどだったとは思えない。
 ―――きっと、そう思ってるのは俺だけだろう・・・。
「レイン君はご不満なようですが、放っておいて、――はい、アンジェリーク」
「これは?」
 受け取ってしまっていいのか少し悩んでいるようだったが、貰うことにしたらしい。
 礼を言いながら受け取った。
「ラピスラズリと言う石を知っていますか?」
「名前だけは」
「そのラピスラズリを加工させた物です。どうぞ開けてみてください」
 言われた通りアンジェが包みを開けると、藍の石がペンダントに加工されていた。
「指輪も考えてはみたのですが、それをアンジェリークに贈ることは、残念ながら私には許されていませんから」
 冗談のように付け加えれば、ヒュウガが違いないと少し笑う。
 冗談のような言葉だが、みんな分かっているのだろう。ニクスの言葉は自分たちの想いそのままで、ニクス自身も本気なんだろうと。
「・・・戴いてしまっていいんでしょうか、本当に」
「指輪だったら問題だろうが、ペンダントくらいならいいんじゃないか?ベルナールもそれくらいは許すさ」
 実際どうかは知らないが、一応言ってみる。
 ベルナールがペンダントを見て慌てるなら、その様を見てみたい気がしないでもない。
「ラピスラズリは『天国の石』と呼ばれていたそうですよ、昔は。幸運をもたらしてくれるとか。あなたも何か願い事をしてみるといいかもしれませんね」
「願いごと・・・」
 ぽつと呟いたアンジェの横顔が切なくて、何を考えているのが手に取るように分かってしまう。
「・・・・・・・・・・・・」
 小さく動いた唇が、ここにはいない名前を呼んでいた。






『いるんだろう!? 開けてくれ!!』
 聖なる日。
 敬虔な気持ちで迎えたその日。
 陽だまり邸だけは違っていた。
「ベルナール・・?」
 朝からドアを叩く音に、ちょうどサルーンにいたヒュウガとニクスがぎょっとしたように、扉を叩いているであろう人物の名前を呼ぶ。
 朝早くに騒ぐような、非常識な人間ではなかったはず。
 不審に思いながらもヒュウガがドアを開ける。
「どうしたんだ、こんなに朝早くから」
 言葉は無視され、ベルナールは真っ直ぐ、ソファに座っていたニクスに向かう。
「どうされま、ぐっ」
「どうされたじゃない、貴方は何をしたのか分かっていて言っているんですか」
 胸倉を掴み、背もたれに押し付けるようにして睨みつける。
 温厚そうなベルナールがなぜこんなにも怒っているのかが、見当もつかない。
「何の話ですか」
「何の話じゃないだろう?アンジェに贈り物をしたと?」
「・・・・・・・・・・・しましたが、問題でしたか?」
 アンジェに喜んでもらえればと思っただけで、他意は・・・・なかったとは言わないが、ないと言い切ってしまえるほどだ。
 ニクスは内心でそう弁解しながら、この状況を考える。
「人の婚約者に物を贈るとは、どういうことなんだ」
「ベルナール、落ち着け。何の話なのか、ニクスは本当にわかっていないようだ。とにかく手を離してやれ」
 ヒュウガがとりなすと、不服そうにしながらもようやく手を離す。
「・・・そんなに問題だったのでしょうか」
「当たり前だろう!?しかも、この手紙。何のつもりなんだ?」
 取り出したのは1通の手紙。
 差出人は、ニクスだった。
「・・・・・・・・出した覚えはないですね。筆跡も私のものでは・・・」
「・・・・・・・・?」
「これはどちらかと言うと・・・」
「騒がしくないか?」
 唐突に2階から声が掛かる。
「・・・・・・レイン君。あなた、手紙など書きましたか?」
「ああ。・・・ベルナールも来てたのか」
「この手紙は、あなたですよね?」
「え、それじゃあ、この手紙の内容って・・・」
 焦ったようにベルナールが手紙とレインを見比べる。
 ニクスには答えず、ベルナールに向き合うレイン。
「『あんたの』お姫様が部屋で待ってるんじゃないか?」
 その一言で、レインを押しやるようにして階段を駆け上がった。





「アンジェ・・!」
 ノックもせずにドアを開ければビクッとするアンジェが振り返っていた。
「え、ええっと・・・どうかしたんですか・・・?」
 それに答える余裕もないのか、アンジェに歩み寄ると手を取る。
「・・・・・・・・・・・・指輪は・・・?」
「指輪って・・・私、まだ貰ってないんですけど・・・」
「そうじゃなくて、ニクスさん・・・あれ、レイン君?」
「・・・・・・・・・・・寝ぼけているんですか?」
 その一言で、途端に力が抜けたようにその場にへたり込んでしまう。
 アンジェの手を掴んだまま膝から落ちてしまって、釣られて彼女も座り込むことになってしまう。
 掴んだアンジェの指には、指輪なんて嵌っていなくて。
 視線を上げてみれば、彼女の胸元には小さな天使への贈り物が1つ下がっているだけだ。
「・・・構ってあげられなくて、ごめん」
「はい?」
「それで、謝ろうって思ってたら、いきなり社に手紙が届いて・・・。ああもう、僕は何をしてるのかな・・・」
「・・・・・・・・・はあ・・・」
 訳が分からない。
 そんな表情で、不安そうに覗き込んでくる。
「何かあったんですか?」
「・・・・・・・・手紙がね、届いたんだ。ニクスさんからだって。実際はレイン君からのようだったけど。内容がね・・・心臓が止まるかと思った」
「レインが?」
「うん。ニクスさんが君に指輪を贈ったと聞いて。いくら婚約しているとは言え、最近はずっと逢えていなかったし、約束も破ったままだったから、不安にさせる材料はいくらでもあったのかなって」
 自分にとっても、アンジェの笑顔が見られないことは辛かった。
 でも、その辛さから婚約破棄だなんて有り得ない。
 そう思っていた。
 それは自分自身が約束を破っていて、自分の都合で彼女に会えないだけだ。そんな自分から婚約破棄だなんて、どんな理論だ。
 でも彼女は違う。勝手に約束を破られて、指輪も贈っていない今、婚約は単なる口約束でしかない。
 フィアンセだと言われても正直ピンと来ないところもあるだろう。
 いくら花嫁修業のように振舞ってくれていたとしても。
 そんな不安定な状況においたまま、連絡を途絶えさせたりしてしまった。
 アンジェは物分りのいい子だから。つい、それに甘えてしまっていた。
「・・・・・・・手紙を読んだときね。アンジェは僕の婚約者で、勝手に指輪を贈るなんて許せない。そう思ったんだ」
「ニクスさんはそんな人じゃありませんよ」
「そうだね。冷静に考えればそうだ。でも、同じくらい強く思ったのは、仕方ないのかな、でもあったんだ」
「仕方ない?」
「不安にさせすぎた。口約束のような婚約に、君が安心していられるわけないのにね」
 アンジェだけじゃなくて、きっと誰もがそうだろう。
「だから、本当に色々ごめん」
 握っていた手に力を込めて、懺悔するように額につける。
「謝らないで下さい。私は仕事に熱中してるベルナールさんをすごく格好いいって思ったんです。だから、そのままのベルナールさんでいて欲しい」
「え・・・?」
「ええっと、レインからの手紙でしたか?内容はまだよく分からないですけど、指輪なら絶対に受け取らなかったです。本当なら何も受け取らないつもりだったんです」
「・・・でも、何かは貰ったんだよね?」
「ラピスラズリを貰いました」
 すっと握られていた手を解くと、机の抽斗から小さめの細い小箱を取り出す。
「綺麗な藍ですよね」
 ラピスラズリ。
 天国の石とも呼ばれ、幸運をもたらすと言い伝えられている石。
「・・・会いたいなあって思ったんです」
「ん?」
 ふとアンジェが言葉を漏らす。
 石に向けていた視線をアンジェにやると、上げた視線が彼女と合う。
「・・・聖なる夜に、少しの間でもいいから逢いに来てくれないかなって、さっき祈っていたんです」
「・・・僕に?」
「ベルナールさんに逢いたいって思ってたら、いきなりドアが開いてベルナールさんが立ってるんですよ。ビックリしました」
「いや・・・あれは・・・」
 あの必死すぎる様は、思い出すだけで恥かしい。
 手紙に釣られたとは言え、彼女に見せるにはあまりにも余裕がなさ過ぎだった。
「宇宙意思からの贈り物かなって感謝しそうになってましたけど、レインにありがとうって言わなきゃいけないんですね」
「・・・・・・・・・・・心配を掛けてしまったのかもしれなかったね」
「ふふっ、そうですね。今から行ってこようかしら」
「レイン君のところに?」
 当然といわんばかりに頷くアンジェを思いっきり抱き寄せる。
「ちょ・・・っ、ベルナールさ、」
「もう少し」



 もう少しだけでいいから。
 このまま二人きりでいたいんだ。





2007年のクリスマス企画の一つ。
兄さんが余裕なさすぎな上に、怒ってる感じですみません。
普段怒らない人がアンジェのために怒ったら萌えるかも?って思ったけど、あんまり私の文章じゃ思えなかった・・・・・。
◇ color season 〜クリスマス〜
掲載: 08/05/11