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我侭を言ってごめんね、
赦してくれとは言わないから、

「泣いてなかったか、あいつ」
 いきなり病室にずかずかと入り込んできたのは、どこまでも冷たくて、どこまでも強情な友人だった。
「蓮。いきなりそれは挨拶なんじゃない?」
「うるさい、桜川に何言ったかは大体想像がつくが・・・」
 夕方。
 もうそろそろ面会時間も終わるというのに来てくれたということは、学校が終わってすぐにこちらへ向かってくれたということなんだろう。
 僕のわがままのせいで、蓮にまで迷惑をかけていると思うと、少しだけ申し訳なく思う。
「うん、たぶん想像通りのことだよ」
「・・・・・・あいつはあいつなりに、ちゃんと考えてたと思うが」
 そうだね。ヒトミちゃんは、僕と僕の病気に付き合ってくれると思う。
 いつだって、僕に正面から向き合ってくれたのはヒトミちゃんだった。
 目の前で仁王立ちの蓮とはまた違うやり方で、ずっと僕を心配してくれていた。
「あいつじゃだめだったのか?」
「ダメって?」
「桜川がお前のそばに居るのは、迷惑だったのか?」
「迷惑? まさか」
 どうしてそうなるのかと、僕にしては珍しく本当に驚いてしまった。
 僕が彼女の迷惑になることはあっても、彼女が僕の迷惑になることはありえない。
「じゃあ、何で桜川は泣いてたんだ?」
「・・・・・・・・・・泣いてた、の?」
「昨日、マンションに帰ったら、隣を猛ダッシュで駆けていかれた。なんだあれは」
 そのぞんざいな言い方が厳しいイメージを作っているけれど、本心ではヒトミちゃんを心配してのことだってよく分かる。
 本当に――――本当にあの子は、みんなに愛されてる。
 その事実を実感すると、なんだか安心するのと、不安になるのとで揺らぐ。
 本来なら安心して去って行けるのだと思わなきゃいけないのに。
「・・・・・・・・でもね、泣かれても、怒られても、憎まれても、一緒にいちゃいけない人間っているものなんだと思うよ」
「桜川はお前の傍にいたがっているようだが?」
「・・・・なら、なおさら早く僕たちは離れるべきだよ。傷は浅い方がいい」
「今すぐ離れたところで、傷が残る程度の気持ちはあるんだろ、お互い。それなら、一緒にいてやればいいじゃないか」
 バカな奴だとため息を吐かれた。
 これが蓮なりの気遣いだということはよく分かる。
「訂正させてもらうね。一緒にいてやるじゃないよ。いてもらう、だね」
「大差ない、揚げ足を取るな」
「大事なことだよ」
「じゃあ、その嘘くさい顔をどうにかしてから言うんだな」
 嘘くさいとは酷いなあ。
 思ってみるが、自分でもこういうときの笑顔は作り物なのはよく分かっている。
「大事なことだとは思ってるけどね。本当に」
「ああ、そうか・・・」
 疲れたように、またため息を吐かれる。
「これは僕たちの問題だって話でもないんだよ」
「?」
「今、蓮の言ったことを『僕たちの話だから黙っていてくれる?』って突っぱねるのは簡単だよ。実際、そう言いたいくらいだしね」
 珍しい僕の口調に、軽く驚いたように目を開いている。
 自分でも分かってる。これは完全な八つ当たりで、蓮の言ったことも、ヒトミちゃんの立場からすれば間違ってないんだろう。
「これはね、僕たちですらないんだ。『僕』の問題だよ」
「・・・・・・・・・・・・本気で言ってるのか」
 ただでさえ少し低い声なのに、一段と低められた。表情にあまり変化がない分、声でよく分かる。
 本気で怒ってる。でも、そんなことで揺るぐような思いでもない。
「本気だよ? 僕と一緒にいてもヒトミちゃんに未来はない。なら、ヒトミちゃんをずっと守れる人間がふさわしいよ。・・・・・・・・誰とは言わないけどね」
 キッと鋭く睨まれる。
「蓮のこととは言ってないよ。まあ、あのお兄さんだし、誰を連れてきても追い出しそうだけどね」
 ふふっと笑うと、舌打ちのようなものが聞こえた。
「お前の言ってることなら、桜川が関わってきてるじゃないか。なら、桜川の意思も尊重されるべきだ」
「みんな思うと思うよ。傷は浅い方がいい。さっきも言ったじゃない」
「だから・・・!傷が浅い方がいいかどうかは桜川が決めることだ」
「ヒトミちゃんの言う通りにするの?結果は見えてるのに?どれだけ想い合っていても、確実に別れはやってくる。・・・言っておくけど、必ず別れはくるって言うのはやめてね。それはどう考えても、普通の人間の寿命での話だ。こっちの事情も考えてくれなきゃ、こっちに分がなさすぎる」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・そんなに睨まないで。ね? 酷いのは分かってる。僕だっていられるものならいたいよ、一緒に」
 最期のときまで。
 それがあまりにも現実的で、次は自分だという思いがどうしても拭えなくて、さすがにその言葉だけは言えなかった。
「僕は、たぶん、いや――確実にヒトミちゃんより先に逝くと思う。その時に悲しむのは、ヒトミちゃんだ。ヒトミちゃんは冷静にそのことを考えられてない。そんなヒトミちゃんに判断任せられないよ。だから、これは僕の問題。分かった?」
 何か言いたそうに口を開いて、何も言わずに閉じられる。
 睨み付けられていた視線も逸らされた。
「『もう会いに来ないで』・・・・・・これは、ヒトミちゃんをどれくらい傷つけたのかな」
「言っただろう。病院からマンションまで結構あるのに、マンションまで来ても泣きやめないほどだ」
 そっか・・・とため息が漏れる。
 そして、どうしても笑いが殺しきれない。どうして――
「どうして、ヒトミちゃんが傷ついたって言うのに・・・こんなに、嬉しいんだろう?」
「・・・・・・・・」
「ヒトミちゃんに出会って、ヒトミちゃんを好きになって、それだけで満足してたはずなのに、それ以上を望んじゃダメだよね」
 そう言うと、微かに視線がこちらに投げられた。
「僕の言葉に傷つくほどには、僕のことを気にかけてくれているんだなって、正直、やっぱり嬉しい。でも、もうやっぱりこれ以上はだめだからね。僕だって分かってる」
「・・・どこが分かってるんだ」
「もうヒトミちゃんはここには来ないと思う。・・・たぶん、来ないでくれる。でも、もう一度だけ来てくれたら言いたいことがあるんだ」
 自分から来るなと言ったのに。
 しかも、あれだけ傷ついた顔をさせたのに。
 またヒトミちゃんが来たら、笑顔で言ってしまうんだろう。


―――我侭を言ってごめんね、赦してくれとは言わないから、




だから、もう僕のことは忘れてね。




 ヒトミちゃんの泣き顔が一瞬だけはっきり浮かんだ。





あのもう来るな宣言の後を少しだけ捏造で補完。
こんなの蛇足で蛇足で仕方ないと思うんですが、ちょっとやってみたかったんです…
神城SSしかない割に、一之瀬の出張り具合は異常。
◇ Arcadia. 〜護りたかった君へ長文10題〜
掲載: 08/05/11