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痛みをともなう予感

 予感はいつだってあった。
 いつだって、「失う」予感があった。
 でも、それって「こういうこと」じゃ・・・・・なかったんだよ。


「こんにちは!」
「いらっしゃい。ヒトミちゃん。今日は一人?」
 元気に病室のドアを開けるのは、予想通りヒトミちゃんだった。
「いつもそうじゃないですか」
 不思議そうな彼女の笑みに、そうだったねとだけ返して、つい――と手元の本に目線を落としてしまう。
 彼女は大して気にしていないようで、「今日はクッキー焼いて来たんです」と楽しげに鼻歌でも歌いそうな勢いだ。個室ではないから控えているようだけど。
「あ、そうだ。昨日、一之瀬さんに会いましたよ」
「!・・・・・へえ。蓮が。何か言ってた?」
 自分でも不自然な間が開いてしまったのが分かった。
 それでも、自分の動揺を抑えるのに精一杯で、すぐには返事ができなかった。
「どうかしました? 一之瀬さん、別に何も言っていませんでしたけど?」
「いや、僕のことだけじゃなく・・・」
「特には・・・」
 そのことに、多少安堵する。
 だって、あんなことがあったんだから。


「じゃあね」。いつものようにその言葉で帰って行った彼女。
 少しすると、病室の窓から帰り道を歩く彼女が見えた。この瞬間が、あまりにも寂しかったけれど、また明日、同じ道を通って僕に会いに来てくれると思える瞬間だから好きだった。いつもは、それだけで終わった。見えなくなったところで、僕は手元の本を開く。それがまた繰り返されるはずだった。
 彼女がいきなり走りだした。お兄さんが迎えにでも来たのかなと視線を移すと、そこにいたのは花を抱えた蓮だった。
 珍しい。高校生時代から、入院するたびに何度か見舞いに来てくれることはあったけど、大学に入ってからは一度もなかったのに。実家とのゴタゴタが片付いてないと言っていた。だから、しばらく来れないのだと思っていたのに、予想外だった。
 彼女が、満面の笑みで彼を迎え、花に触ったりしている。
 それがとても彼女らしくて、少し嫉妬に似た気持ちもあるけれど、それでも彼女の誰に対しても優しい、穏やかなところに惹かれた自分がいるのも確かだ。
 高校生時代だって、笑顔の全てが自分に向けられていたわけじゃない。
 僕と彼女は似ていたと思う。誰に対しても笑顔でいた。
 ただ、僕と彼女の違いは、拒絶の笑みか包み込む笑みだったかの違い。
 蓮が、それを僕に指摘したんだったなと、思い出しておかしくなった。自分のことは、誰も気付きづらいんだね、と話したこともあった。
 全てがいい想い出だった。そんなことを思いながら、二人の様子を見ている。
 それから、少し時間が経って、蓮は彼女に花を押し付けると、そのまま病院の中に向かって歩き出してしまった。
 ヒトミちゃんも、なにやら困っているようで何事か叫んでる。たぶん、一之瀬さん!と呼び止めてるのかな。
 しばらくして、病室のドアが開いた。
「思ったよりは、元気そうじゃないか」
「蓮。今ね、窓からヒトミちゃんと話してるの見てたところだよ。突然来るんだから。ビックリした」
「そうか?たまに来てたじゃないか」
 それから、蓮の家のことを聞いたり、僕の病状を説明したり。
「・・・・桜川から、さっき少し話を聞いたが。ほとんど、同じようなことを言われた。まだ治療法が確立してないってことも、少しずつだが病状も進行してるってこともあいつ、知ってたが?」
「うん、言ってあるからね」
 微笑みながら言うと、驚いたような表情を浮かべる蓮。
「驚いた・・・。お前のことだから、いいことだけ言って、本格的に悪くなったら桜川のこと突き放すと思ってたんだがな」
「・・・・しないよ。できるならしたいけどね。昔の僕なら、恨んでくれてもいい、憎んでくれてもいい、僕を好きだったことなんて忘れてしまってねって言えたんだけどね・・・」
「違うのか?」
 少し長くなりそうだと思ったのか、ネクタイの首元を緩めた。
「今はね。少し違う。好きすぎて、憎まれたいなんて思えないし、嫌いになんてなってほしくない。だから、突き放せない。そしたら、全てを告げておく必要があるからね」
 そこで一旦話を切る。
 蓮は相変わらず、無表情で話を聞く体勢だった。
「ただね。頼みがあるんだ。僕がいなくなったとき、ヒトミちゃんに言って欲しい。僕は君で変われたんだって。僕のこと、忘れないでねって」
 ガタッ。
「ぐ・・・ッ」
 いきなり椅子が倒れたと思ったら、次の瞬間、胸倉を掴まれていた。
「れ・・・・ん・・!?」
「ふざけるな」
 こんなに怒りの篭った蓮の声を初めて聞いた。遠くでそう思っている自分がいることに驚きつつも、他にも人のいる中で掴みかかってくる蓮に一番に驚いた。
「・・・桜川がお前を好きだと言ったから諦めたんだ」
 何の話?ヒトミちゃん?
「いつも自分の未来は暗いと言っていたお前が、桜川と一緒にいて変わったのを見て、お前には桜川が必要だし、桜川もお前と一緒にいたいと言っていたから、だから諦めたんだ俺は」
「蓮・・・・・・・・・?」
「なのに、お前はまたそんなこと言ってるのか!?桜川の前でも同じこと言ったのか!?」
「・・・」
「桜川がどれだけ辛い思いで、その言葉聞いたと思ってるんだ!?分かってるのか?桜川はお前を看取るためにお前のそばにいるんじゃないんだよ!いつか二人で生きて行けるだろうって、そう思って、お前を励ますために一緒にいるんだろ?それなのに、なんでお前がそんな考えなんだ!?」
 一気にそれだけ捲くし立てると、少し落ち着いたのか乱暴に手を離した。
「お前がその気なら、桜川は俺が幸せにする」
「!?」
「気付いてなかったとは言わせない。気付いてただろう?」
 否定はできなかった。
 はっきり気付いていたわけじゃない。好きか嫌いかなら、蓮はヒトミちゃんを好きだと思っているといつだって断言できた。だけど、それが友好的なものか、恋愛感情かは僕にだってよく分かってなかった。恋愛感情だと断言されればそのような気もするし、違うと言われればそれはそれで納得できる程度の物だったと思っていた。
「じゃあな。その内、また来るから」


「本当に、どうかしたんですか?」
「え」
 ふと現実に戻ると、心配そうに覗き込んでくるヒトミちゃんがいた。
「いや、何でもないんだ。気にしないで」
「本当ですか?・・・まあ、いいですけど。よし、こんなものかな」
「ん?」
「これ!この花、昨日一之瀬さんがお前にって言ってくれて。貰っちゃったんですけど、家に持って帰ったらお兄ちゃんに泣いて捨てるように言われて・・・」
「鷹士さん・・・」
「どうもできなかったので、持ってきちゃいました。ダメでしたか?」
 いいとも悪いとも言えなくて、曖昧に笑っていると、肯定の意味に取ったのか、枕元に飾った。
「もうそろそろ、回診の時間ですか?少し寝ますか?」
「あー・・・もうそんな時間?どうしようかな。少しだけ、横になっていようかな」
「その方がいいですよ!私、ちょっとのどが渇いたので飲み物買ってきますね」
 すぐ戻ります、とお財布だけ持って出て行った彼女を見送ったあと、そのまま後ろに倒れこむように横になった。
「・・・・・・」
 目を閉じると、同室の患者を見舞う声が聞こえる中、自分だけが隔離されたような変な気分に陥ってきた。
 昨日の蓮の言葉が、思っている以上にのしかかってきている。
 そうして、眠れないまま時間が過ぎていった。

「あれ。寝ちゃってる」
 おかえり、と応じようとした時、もう一つの声が聞こえた。
「寝てるのか?」
「はい、眠ってるっぽいです」
 ―――蓮?
「それに、お前はまた見舞いに来てたのか?」
「当たり前じゃないですか」
「そんなにこいつが心配か?」
「それも、当たり前すぎる質問です。誰になんて言われようと、私は好きで神城先輩のそばにいます。先輩がもう長くないって言うんだったら、それが本当なんだと思います。そしたら、何で離れなきゃならないんですか?」
 堪える。
「私は先輩と少しでもいたいから、ここにいるんです。私がいるから、先輩が無理矢理笑うこともあると思います。寧ろ、大半は私に心配をかけないために、無理に笑ってるんだってことくらい分かってます」
 絶対泣かない。
「それでも、負担になるってことは分かっていても、先輩が嘘でもいいから『ヒトミちゃんがいるから、今を生きていられるんだよ――』って言ってくれている間は、絶対に離れません。言われなくなったって離れません。馬鹿にしないで下さい」
「ありがとう・・・・・・・」
「いえ!そんなこ・・・・・・・・・・・・・はい?」
 蓮に向かって熱弁を奮っていたと思ったら、隣から声をかけられて気の抜けたような声がした。
「悪趣味なヤツだな」
「ちゃんと確かめなかったのは、二人でしょう?」
 ゆっくりと身を起すと、完全に固まったヒトミちゃんがいた。
「ごめんね、蓮。そういうことだからね」
 僕は、何を心配していたんだろう。
 僕がヒトミちゃんを思っているのと同じだけ、ヒトミちゃんも返してくれる。
 自惚れなんかじゃなく、その通りなのに。
「蓮にね、言われたこと考えてみた。言っておくけど、僕は何も諦めてないから。だから、今ヒトミちゃんと一緒にいるんだよ。昔の僕と、今の僕を一緒にしないように、ね?」
 呆気に取られたような蓮が、ふと笑って。


「まあ、あの言葉は一生伝えなくてよさそうだな」


 話に着いてこられないヒトミちゃんだけが、可哀想なくらい僕たち二人を見比べていた。





神城と一之瀬のゲーム中のやり取りは大概好きだったんですが、
ヒトミを巡ってのやり取りがなかったのは残念。兄と華原はあったのにー!
・・・・・・兄はデフォでヒトミ好きだからありだったんだよなあ・・・。
◇ 恋したくなるお題 〜手放せない恋のお題〜
掲載: 08/05/11