―――ねえ、先輩? あなたを失ったら、たぶん私はどうなるんでしょうね・・・?
彼女の寂しそうな、悲しそうな。
そんな呟きが聞こえた気がした。
夜の病室で、ほとんど無音に近かった空間でのその呟きは、彼女の予想以上に響いた。
ただ、彼女は僕が眠っているままだと思ったらしく、そのまま僕の手を握ってきた。
Q.僕がいなくなったら彼女はどうなるのか。
A.幸せになれる。
僕は治るかどうかも怪しい病に日に日に冒されて行っているのが分かる。
治療法が確立しない限り、ヨシヒサと同じ道を辿るのも近いだろう。
諦めたくはないし、諦めるつもりもないけれど、そんな現実がやっぱり目の前に迫っている。
今日、また倒れたのがその証拠だ。
―――たぶん・・・・正気ではいられないんじゃないかなあ・・・・・・・・・。毎日、泣いちゃうんじゃないかなあ・・・・・・・・・
また、響く泣きそうなほど頼りないヒトミちゃんの声。
彼女は僕と出会わなければ、こんな思いはさせなかったのに。
いや、出会ってもよかった。出会ったところで、何があるわけじゃない。出逢うだけなら、知り合うだけなら何でもなかった。
僕が彼女を好きになってしまったから。
彼女を一番大切だと思ってしまったのがいけなかった。
―――先輩が大好きですよ・・・?
脈絡もなく降ってきた言葉に、思わず彼女を抱きしめていた。
それまで寝ていた人がいきなり起き上がって抱きしめたのだから、相当驚いただろう。
そんな表情もたまらなく可愛くて、愛しくて。手放せないのを改めて自覚してしまって。
「ごめん、ね・・・・・・・・・・・・」
何がなんて、一言で言えることじゃない。
「お、起きてたんですか!?」
「こーら。夜の病院だよ、ヒトミちゃん」
苦笑気味に、それだけ言うと漫画のように自分の口元を慌てて押さえた。
「え、もしかして・・・」
「いきなり『先輩が大好きですよ』はびっくりしたよね」
「あ、あれはっ・・・!って、そうではなく!そ、その前のこと聞いてましたよね・・・やっぱり・・・・・?」
微苦笑で肯定すると、一気に彼女の顔色が変わるのが分かった。
「あ、あれは・・・ッ」
「ねえ、ヒトミちゃん・・・」
「そうじゃなく・・・って、え?」
「お願いだから、ヒトミちゃんは本当の意味で最期まで生きてね。ヒトミちゃんはヒトミちゃんらしく、最期まで笑っていてね」
きょとん、とした表情が彼女の思いをとてもよく表しているようだ。
感情にストレートで、感情の起伏も激しくて。全身で思いを表すような、そんなヒトミちゃんが大好きだった。
「分かっていると思う。このままなら、僕がどうなってしまうのかは」
「!」
「お願いだから、そのままのヒトミちゃんでいてね。僕の大好きな」
「先輩・・・・・・」
「知ってる?僕の幸せは何か」
「・・・・・・・・・・・・・・いいえ」
「本当に?」
また少し考え込む仕草をするヒトミちゃん。
「・・・私の幸せ、とか?」
「分かってるじゃない」
微笑み返すと、少し辛そうな表情をするヒトミちゃんの顔が映る。
「僕の幸せは、ヒトミちゃんの幸せだよ。僕がいなくなったらどうなるのかな、ってヒトミちゃんは言ってたけど、僕も同じだから。寧ろ、僕のほうが酷いんじゃないかな」
「・・・・・・・・・」
「ヒトミちゃんはいつでも幸せでいてね。今の僕が言っても説得力はないけど、僕の存在に縛られないで。・・・・・約束して?」
それからどのくらいの時間が過ぎただろう。
1分かもしれない。2分かもしれない。もしかしたら、5分は過ぎたかもしれない。
長い、長い、沈黙のあと、ようやく首を縦に振った彼女がいた。
ありがとう。
言えたかどうかは分からないけれど、そう言えた気がする。
すぐに眠りに落ちた。
彼女に幸せをと願ったのは間違いなく僕。
同時に、その幸せを彼女に与えられるのは僕ではないという事実を突きつけられていて。
それ以上、彼女を見ていることができなくなった。
『その時』が来たら、冷静でいられないのはたぶん僕のほうだよ。
『約束して?』
首を振るのは簡単だったのに。
どうしても、感情が追いつけなかった。先輩の思っているような約束は、私にとっては幸せじゃない。そう断言できる。
それでも、そう約束しなければいけないような気もしていた。
考えたくもない『その時』が来たとき、その約束で先輩が救われたと思ってくれるのなら、約束しなくちゃいけないと思った。
首を振った瞬間、微かに見せた先輩の表情。
心底、安心しきったような表情の中に、一瞬だけ混じった悲しげな表情を見逃すことができなかった。
『その時』、僕は彼女を失くした悲しみにたえられるのかな?
『その時』、私は先輩を亡くした哀しみに耐えられるのかな?