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夏のはじまり

 目の前でパチパチと火花を小さく散らしながら、綺麗に輝く線香花火。
 落ちないように、消えてしまわないように大切に、大切に。
 絶対落とさない、そう思いながらとにかく線香花火に集中する。
 線香花火以外、何も見えない。
 線香花火以外、何も聞こえない。

「線香花火、綺麗ですね。思いませんか、圭さん?」
「そうだな・・・。だが、俺には珠洲の方がずっと綺麗だと思える」




 聞こえない聞こえない聞こえない。




 高千穂陸は、必死に自己暗示していた。


 夏休み。
 あんな事件があったあとだが、世界は何事もなかったように回っている。
 とすれば、世界を滅ぼす危険を孕んだ存在がいる場所であっても、たかが一国の片隅に位置する海神村も当たり前のように、回り始める。
 もちろん、学校だって通常通りだ。事件のあと、しばらくすると学校は夏季休校――要するに、夏休みに入った。
 自然と家にいるようになった陸は、珠洲や圭が一緒にいる姿を嫌でも目にする羽目になっていた。
 確かに、珠洲が一緒にいたいと言ったのだし、二人は恋人なのだし、喧嘩されているよりもずっといいのは分かっている。
 だが、限度ってものもある。
 普段は午後から近所の道場で師範をしている圭も、午前中はたいがい家にいる。午前中という限られた時間の中できるだけ珠洲と一緒にいようと、庭の手入れを一緒にやったり、朝から一緒に料理をしていたり。
 珠洲を視界に入れようとすれば、何がなんでも圭も視界に入ってくる。
 少し離れたらどうかと言おうとしたが、珠洲があまりに幸せそうな顔をしているものだから、陸は黙るしかなかった。
(姉さんのためだ・・・姉さんのため。そのうち、きっと飽きるだろう・・・)
 毎日、言い聞かせているがその気配が一向にないことには一切気付かないことしている。きっと飽きてくれると全力で信じている、姉さん。


 そんな日々が続いた今日。
 道場から帰って来た圭が持っていたのは、花火セットだった。
 道場に来ている子供の父兄が、珠洲や陸と一緒にやってはどうかと気を遣って持ってきてくれたらしい。
 案の定、珠洲が大喜びで、圭と陸の二人に浴衣を押し付け、自分も浴衣を着に部屋へ戻っていった。

「珠洲は花火が好きなのか?」
「え?」
 居間で珠洲の着替えを待っていると、縁側に腰掛けていた圭が陸を振り返って訊いた。
「珠洲が大喜びしているようだったから、花火が好きなのかと思って」
「・・・ああ、姉さんは線香花火とか、とにかく綺麗なものが好きなのだと思う。打ち上げ花火も好きだけど、ねずみ花火みたいなものは好きじゃないらしいから」
 去年も母や真緒、陸、晶、珠洲の5人で花火をした。
 その時、晶のやっていたねずみ花火を本気で怖がっていたようだ。
 そう言うと、圭は「珠洲らしい」と苦笑した。
 こんな風に穏やかに笑う人が、つい先日までは敵だったのだ。
 もし玉依姫が珠洲でなかったら、
(この人はこんな風に笑えたんだろうか・・・?)
 もし、の話は意味がないと思っても、どうしても思ってしまう。
 もし母さんが死んでいなかったら。
 もし姉さんが玉依姫を降りていたら。
 もし真緒姉さんが玉依姫になっていたら。
 その内のひとつも動かせるものはないけれど、動かせたとしたら、圭は珠洲には出会っていなかった。
 ここでこんな風に笑っていることもなかっただろう。
(圭さんの言葉を信じられる姉さんだったから、ここに圭さんがいるのか)
 珠洲が一回でも圭を疑っていたら、今はないのだ。

「ごめんなさい、お待たせしました」

 ふと物思いに耽っていた陸を戻したのは、珠洲だった。
 着替えが終わったらしい。
「一人だったから上手く着付けられなかったんですけど・・・」
 そう言いながら少しはにかむ姿のなんと可愛らしいことか。
 弟から見ても、充分すぎるほどに可愛い。
「綺麗だな」
 優しげに微笑む圭に、耳まで真っ赤になりながら珠洲が、
「ゆ、浴衣が・・・ですよね?」
「本当にそう思っているなら、なぜ顔を赤くする?」
「・・・・・・うう」
「珠洲が、綺麗だと。浴衣の緋も珠洲の白い肌によく映える」
「・・・・・・・・・・・ありがとう、ございます」
 ・・・・・・・・・・・・・・・喧嘩されているよりもずっといいだろう・・・!
 俯いて必死に自分にそう言い聞かせている陸には、二人とも全く気付いてなかった。


 そして、冒頭。
 もっと派手に始めればいいものを、わざわざ最初から線香花火を出してきた珠洲に圭も陸もそれはどうなんだとは言えずに、線香花火を始めた。
 すると、あとは圭と珠洲、そして陸の二つの世界になってしまった。
 いくらこの数週間で慣れたとは言え、厳しい。
「珠洲、いるか?」
 表から声がかかる。
「晶?」
 いち早く気付いたのは、珠洲だった。陸には神の助けにしか思えない。
「晶くんが来たのか?」
「ちょっと見てきますね」
 家の中に戻っていく珠洲を見ながら、圭が少しだけ不満そうな表情をした。
 姉さんを取られた気持ちは分からなくもないが、その表情はいつもの俺がしたい。陸がそう思っていることなんて、欠片も伝わっていないだろう。今更だ、分かってた。
「晶さんは、毎年来てくれるんですよ。小さい頃から姉さんの守護者だからって言って、夏休みの間も気遣ってくれていました」
「そうなのか?陸くんもいるのに?」
「話しませんでしたか?真緒姉さんのことがあってから、俺は守護者にと自分で望んだんです」
「ああ、そんな話を聞いたな」
 悪かったと、謝られる。
 それに被るように声がかかる。
「へえ、陸も御子柴も似合ってるじゃないか」
 慣れきった高千穂家を迷わず縁側まで進んできた晶が開口一番そう言った。
「そう?私が仕立て直したんだよ」
「着る人間の素材がいいんであって、お前が威張ることじゃないだろ」
 浴衣を着込んだ陸と圭を見るなり、口笛でも吹きそうな軽さで晶が言った。また晶に意地悪を言われて「うう」と唸る珠洲という図も、見慣れたものだ。
「邪魔してる」
「晶さんと俺たちの間で、邪魔も何もないでしょう」
 それもそうだと晶が笑うと、珠洲が圭の隣に座って、晶に線香花火を差し出した。
「晶もやるでしょう?」
「また線香花火なのか?打ち上げ花火もあるじゃないか」
 ため息混じりに文句をつけると、しゅんとする。
「・・・・・・・・・・だめとは言ってないだろう」
「やっぱり晶さんは姉さんに甘い」
「甘くない」
 この会話も何度繰り返しただろう。
 去年までは圭の位置にいたのは晶だった。珠洲はいつも晶の傍にいた。
 晶も珠洲をどれだけけなしても、馬鹿にしても、絶対に離れさせはしなかった。追い払うどころか、「鈍臭いんだから、必ず俺の傍にいろ」と言っていたくらいだ。
 嫌だと思いながらも、去年までは珠洲は晶と結ばれるものだと思っていたのに。
 一年経ってみれば、圭などといういきなりの恋人ができていた。
「・・・晶さん」
「何だ?言っておくが、俺は珠洲の守護者だからここにいるんだからな」
「誰もそんなこと言ってません」
「だ、だな・・・」
 何言ってるんだ俺という悔しげな呟きは、聞かなかったことにしておこう。
「人生って分からないもんですね」
「はあ?」
「いや・・・何だかんだ言って、姉さんは晶さんを選ぶものだと思っていたから」
「な、何言ってるんだ?大丈夫か、陸・・?」
 酷く気味悪そうな顔をした晶に、なんでもありませんと返すと、陸は珠洲に目を向ける。
 相変わらず、視界には圭も一緒に入ってきてしまう。
「・・・・・・・・・・・・平和だなって思ったんですよ」





「本気か?」





 鋭く訊ねられた言葉に、詰まる。
「・・・当たり前じゃないですか?」
「そうか?ならいいが。悔しいんじゃないかと思って。あの位置にいつもいたのはお前だろ?」
 珠洲と笑い合う圭を軽く睨みながら言う晶に、陸は少し驚く。
「あの位置にいたのは晶さんでしょう?それに、悔しいって言うなら、それはきっと俺が弟だからですよ」
 だから、隣にいた晶が羨ましかった。悔しかった。
 今となりにいる圭にも同じことを思ってしまう。
 寂しかった。
 自分の姉なのに、珠洲がいつも慕っていたのは晶だったから。珠洲が好きなのは圭だから。
「いつも珠洲が見ていたのはお前だったじゃないか」
 晶も驚いたように返す。
 珠洲がいつも心配していたのは陸だった。
 母親が死んで、真緒がいなくなって、珠洲が陰口を叩かれるようになっても、珠洲はいつも陸を心配していた。
「俺は、陸がいつも少しだけ羨ましかったのかもしれない」
 今度こそ少しどころではなく驚いた。
「・・・・・・・・・・・陸が、自分が弟だから御子柴に嫉妬するって言うなら、俺は守護者だから御子柴が気に入らないんだろうな」
 そう言った晶が、あまりに優しく、寂しく珠洲を見つめていたのが分かったから。
「晶さん・・・もしかして、」
「俺は守護者だから、あいつをすぐに守れる位置にいる御子柴が気に入らないんだ。それだけだ」
 それだけ言うと、陸の肩をポンと叩いて線香花火を始める。
(素直じゃないんだから、晶さんは・・・)
 だから圭さんに姉さんを取られるんだと思ったところで、引っかかった。


 自分は?
 自分は姉さんのことをどう思っていた?
 自分も――――


 そこまで考えて陸は首を振る。
 そこから先は考えていいことじゃない。
「陸?」
 いきなり首を振った陸を訝しげに見上げた晶に、
「俺も、弟だから圭さんが少し気に入らないのかもしれないって思っただけです」
 そう言った陸に「だろ?」と言った晶が少し痛ましげだった。







 一つの恋が始まった。
 二つの心がなかったことになった。
 そんな夏の始まりだった。





最初はギャグのつもりだったんだと主張して、何人が信じてくれるでしょうか・・・。
書きたかったのは、御子柴と珠洲のバカップルだけだったんです。
珠洲の保護者(晶+陸)が主役のSSではなかったはずなんだ・・・!
掲載: 08/05/11