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出会った瞬間、恋をした

「真緒か・・・」
 高校帰りをゆったりと歩いていると、今日の学校での会話が思い出された。





『あ、八坂じゃないか?あれ』
 ぼーっと本を読んでいると、窓を覗きながらクラスメイトの一人が肩を突いてきた。
 八坂…。ああ、真緒のことか。
 村でも美人と評判で、頭もいいし、面倒見もいい。
 どこを取っても非の打ち所がない。
 それは分かるが、だからと言って自分自身が惹かれるかというとそれはまた別問題で、別に何の感情も沸かない。
 この村では基本的にみんな小学校から中学までは同じように進学。
 高校が地元にあるから、中学から高校までは半分は同じように高校へ進学してしまう。
 近くに中学があるから、自然と高校生だろうが中学生だろうが、顔は覚えてしまうと言うものだ。
『真緒?…あ、いるね。この炎天下でランニングさせる中学校ってすごいね』
 もうすぐ夏休みだ。日中の日差しのきつさと言ったらない。
 それでも中学生は校外ランニングらしい。だからと言って、高校付近まで走らせる教師も凄い。
『八坂って、中学生にはとても見えないよな。あれで中学2年ってありかよ』
『だよなーっ!クラスの女子と比べても、八坂の方が美人』
 真緒は美人だから、大概の女の子よりは。そんな言葉はギリギリのところで飲み込む。
 本当のことでも、後ろからの突き刺さるような視線の前では飲み込まざるをを得ない。
『亮司は?八坂とかどうなんだよ』
『どうって?』
『八坂の好みのタイプが物凄く細かくて、お前のことっぽいんだよ。妹八坂とクラスメイトだから聞いてきた。実際、お前のことだったりしないのか?』
 ニヤニヤ笑ってからかうクラスメイトに苦笑して否定する。
『違うよ。あまり接点もないし。顔見知り程度だよ』
 それに、と付け加える。
『真緒にはもっと男らしい人間の方が合ってるんじゃないかな』


 午前中の授業が終わると、クラスメイトから離れてグランド脇の木の下へ移動する。
 昼食はいつもここで一人で食べる。
 暑くてかなわないが、いつもの癖でどうしても来てしまうのだ。
 そうしていつも通りお弁当を広げると、正門からこちらへ駆けてくる人影が見えた。
『亮司!』
『……真緒か』
 クラスメイトが見たら、見惚れてしまいそうなほど綺麗な笑顔で駆け寄ってくる。顔見知り程度、のはずなのだが、たまにこうして会いに来るのが真緒の不思議なところだった。
『今日もここだったんですね。暑いでしょう?』
『いつもの癖だから』
『そうね。いつもここで食べてるものね。私も一緒していい?』
 手に持っていたお弁当箱を胸の高さまで掲げ、小首を傾げて見せる。
『……仕方ないね。食べたらすぐに学校に戻るんだよ』
 たまに一緒に食べては、トコトコと戻っていく。特に共通の話題もない僕と一緒にいて何が楽しいのか分からないが、それなりに楽しいらしい。
『亮司って、お弁当はいつも自分で作るの?』
『いや、たまに一つ二つ作るだけで、基本的には母さんだよ。料理は上手くもないしね』
『あ、じゃあ、私が今度作ってきます』
 作ってもらう理由がない、と断ろうとすると、それを制してまた小首をかしげる。
『私が作りたいんです』



 そして、帰り道。
 昼の真緒のことを思い出して、少し欝な気分になる。
 彼女はいいと思ってやってくれるのだろうが、それがたまに鬱陶しいと思ってしまうのは僕の贅沢だろうか。
 下らない、とそれを振り払おうと他のことを考えてみる。
 趣味の俳句も思い浮かばない。
他に何かと思っても、それ以外にこれといった趣味もない。
 何でも平均以上にできたが、特に夢中になれることもなかった。
 そして、何にも―――――誰にも執着しない。
 頭では美人だとか、気が利くとかいいところがいくつも分かっている真緒のことも、好きかと訊かれると、そうではないと思う。
「・・・暗いな・・・」
 空から降り注ぐ夏の日差しはこれほど眩しいのに、なぜ青春を生きてるはずの高校生の思考はこんなに真っ暗なのか。
 いや、根本的に関係ないのは分かってはいるけれど。
「・・・・・・」
 ふと視線を上げると、神社の鳥居が見える。
 なんとなく、本当に自分でも分からないが、寄ってみる気になった。



「・・っ、ふぇ・・・くっ・・・・・・」
 え?
 鳥居をくぐるとすぐに小さな声がした。
―――泣いている?
 たぶん、小さな女の子の泣き声だ。
 大して広くない敷地だ。周りを見回してみると、隅のほうで膝を丸めて泣いている女の子がいた。
 ワインレッドの髪が肩まで伸びていて、しかも俯いているからなおさら顔が分からない。
 いきなり話しかけたら変な人・・・かな。
 そう思いもしたが、話しかけてみるだけだ。こんなところで泣いていて、ずっと放って置くことのほうが不安だった。
 もし怖がられたら、その時はその時だ。
「どうしたの?」
「ふぇ?」
 いきなり話しかけられて驚いたのか、女の子が勢いよく顔を上げた。
 小さな女の子に対してこう思うのもどうかと思うが、いや、むしろ小さな女の子だからそう思うのか、かなり可愛かった。
 髪を少し取って、両耳の横で束ねているからなおさら幼く見えているが、きっと小学6年生か、中学生というところだろうか。いや、中学生なら制服か?この子が着ているのは私服だし、小学生くらいか。
「あ、ごめんね、怖がらなくていいよ。泣いているようだったから、少し気になってね」
 笑いかけてみると、その子は顔を真っ赤にしてハンカチで目元を拭った。
「だ、大丈夫です!すみません、ご心配お掛けしました!」
「あはは、心配ってほどでもないけどね。少し、気になっただけだから」
 その子の少し必死な様子に、思わず笑ってしまう。
(笑っていたほうが、ずっと可愛いのに)
 唐突にそう思った自分に、一瞬動揺する。
 まだ話して1分も経ってないくらいなのに。
 名前も何も知らないのに。
「よっと」
「え」
「あ、ごめん。隣、勝手に座っちゃったけどいい?」
「え、でも、ここ地面・・・制服ですよね・・・?」
 制服を着ていたことを気にしてくれたらしい。
「大丈夫、大丈夫、替えで2着持ってるから」
 ちょっと不審そうな顔をされたけれど、別に嫌がられはしなかった。
「ちょうどここで会った縁だし、話してみない?」
「?」
「泣いてた理由。いやだったらいいけどね」
 またかあっと顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「・・・・・・・・・大したことじゃないです」
「そうなの?泣くほどなのに?」
「・・・・・・・・・・・いや、それは・・・」
 無理に聞くつもりはなかったけれど、妙に気になった。
 泣く理由ってなんだろう。
 自分には、記憶のある範囲で泣いたことがない。
 泣くのはよっぽどの理由だろう。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・られて」
「はい?」
「・・・・・・・・・・・お母さんに怒られて・・・」
「・・・・・・・・・・え」
 そんな些細な理由か。
「お姉ちゃんに遊んでって言ったら、お勉強があるって言われて・・・。それでも遊んでほしくて、そう言ったら怒られた・・・」
 本気で落ち込んだように言うその子があまりにも可愛くて、ふと微笑んでしまった。
 笑ったつもりではなく、ただ可愛いなあと思っただけなのだが、女の子はそんな表情を笑われたと思ったらしく、むぅと頬を膨らませた。
「私、本当に・・・!」
「うん、必死なんだよね」
「・・・・・・・・・・・」
 お母さんに怒られることに慣れていないのか、ただ単に、怖かっただけか。
 それは分からないが、母親もその程度で本気で叱るわけがない。
 あとで姉の方と母親に謝っておけば、その母親も気が済むだろう。
「そっか。じゃあ、あとで謝ろうね。勉強の邪魔してごめんなさいって」
「・・・・・・・・・うん」
「でも、今すぐは謝りづらいかな?」
「・・・・・・・・・うん」
 小さく頷くのをみて、よしっと立ち上がる。
「じゃあ、僕と少し遊んでから謝りに行こうか」
「遊んでくれるの?」
「もちろん、遊ぼう」
「やったぁ!」
 ここまで素直だと逆に不安になるが、まだこの村に不審者が出没したという話は聞かないし、まあ大丈夫か。
「何したい?ええっと・・・名前、教えてもらってなかったね。僕は、天野亮司。よろしくね」
「天野さん・・・?」
「亮司でいいよ」
「亮司さん・・・。えっと、私は珠洲。高千穂珠洲です」
「高千穂・・・・・?」
繰り返すと、うんっと元気のいい返事が返ってきた。高千穂と言うと、彩子さんの?
直接会ったことはないが、何度か家に来ている女性を思い出す。何度か顔を見かけた程度。
 あの人の娘さんか。そう単純に思って、笑いかけると、にこっと笑い返してくれた。
 そのことに妙にどきっとして、少し視線をそらせてしまった。
 何してるんだろう・・・。
「あれ?・・・『天野』・・・さんで、『亮司』さんですよね・・・・?お姉ちゃんの言ってた人と同じ名前だ」
「お姉さん?うーん、高千穂なんて苗字、僕の学年にはいないなあ」
 学年だけじゃなく、他学年まで考えるが高千穂という苗字に学生の知り合いはいない。珍しい苗字だ。
「そうなんですか?じゃあ、私が間違えただけかも」
 うん、きっとそうです、とまたにこっと笑う彼女に、今度はどうにか笑いかけることができた。
「きっとそうだね。じゃ、どうしようか。何したい?」



 彼女の言うまま、川まで行ってみたり、神社で日向ぼっこしたり、学校の話をして見たり。
 2時間ほどしたら、日が落ちてきた。 
 それだけ一緒にいたということも驚きだ。早く家に帰さないと。
「・・・お家、帰る時間?」
「そうだね。もう日も落ちてきたしね。家の人が心配してるよ」
 心配しているという言葉に、本当に心配してくれているだろうかと不安げにしたが、髪を撫でてあげると、ちょっと笑ってくれた。
「送って行ってあげるよ、家は――――」
 家はどこ?と聞こうとしたとき、「珠洲ー!どこー!?」と呼ばわる声が聞こえた。
「お姉ちゃんだ!」
 声のする方を見てみると、そこにいたのは真緒だった。
「真緒?」
「亮司?・・・って、珠洲がなんでここにいるの?!」
 お姉ちゃん!と駆け寄る珠洲を抱きとめながら、少し混乱しているようだ。
「お姉ちゃんって・・・真緒の苗字って八坂だよね・・・」
「う、ん。従姉妹なのよ」
 なるほど。
 いきなり真緒の従妹に会うとは思っていなかった。
「あ、でも、こんなところで会うなんて偶然ね!珠洲がここにいたことも驚いたけど・・・」
「珠洲ちゃん、可愛いね。さすが、真緒の従妹ってところかな」
 そう言って珠洲の髪をまた少し撫でると、また顔を赤らめた。こういうところが、可愛い。
「って、ごめん。真緒が来てくれたなら、僕はもう帰るね。じゃあね、珠洲ちゃん、気をつけて」
「亮司お兄ちゃんもね」
「え、ちょっと、亮司!」
 真緒の声も聞こえた気がしたが、珠洲にバイバイと手を振ると、鳥居を抜けて家まで小走りで駆け抜けてしまった。
 そして、途中で真緒に何も言わずに帰ってきてしまったことに気付いた。
「・・・・・・・・・・・」
 家の門の前で足を止める。
 フラッシュバックするのは、泣いていた珠洲の表情。
 にこっと笑った珠洲の晴れやかな表情。
 かあっと赤くなった珠洲。
 真緒に抱きついたときの、安心しきったような珠洲。
 思い出すのは、珠洲ばかりだ。
 ずっと一緒にいて、仲もよかったはずの真緒の顔の方がむしろ思い出せない。
 なんとなく真緒に申し訳なく思った。


 それから少しだけ月日が経った。
 突然祖父に呼び出されたのは、何の変哲もない普通の日だった。


 聞かされた内容は、平凡な日には似合わないほどの衝撃だった。
 こんな小さな村が、日本のみならず、世界を滅ぼすほどの力を有していた?
 それを制御する力を持っているのは巫女で、今の巫女は彩子さん―――しかも、その守護者が自分だって・・・?
 無事に死に逝くまで守るのが役目。――――そして、運命は次の巫女に廻ってゆく。
 彩子さんの娘が巫女になるというのなら―――――次の玉依姫は彼女だ。
 彩子さんがいなくなれば、必然的に役目は珠洲に回る。
―――珠洲を殺させはしない。神が堕ちた妖などに殺させてたまるか。



 笑いかけてくれた珠洲を見ていたい。
 笑いかけてほしい。
 泣いた顔はもう見たくない。
 笑顔を守りたい。


自分が守るべきだと言われた彩子さんよりも、珠洲のことを気に掛けることは酷いのだろうか。
彩子さんを心配する気持ちも当然ある。でも、それ以上に珠洲がいなくなることの方が怖くて、あまりにも、辛すぎる真実だった。


 7歳も年下の女の子にこんなことを思っている自分なのに、そう思っていることが自然なことのように思えて仕方ない。
 この想いは、きっと彼女が玉依姫で、僕が守護者だからじゃない。
 彼女が玉依姫だと知らなくても、そう思っていた。






 きっと、この時から僕の恋は始まっていたんだ。





初の翡翠SS。
一番評判悪そうなルートでしたが、亮司ルートが一番面白かったです(笑)
細かい設定がよく分からなかったのですが、設定集にさえ出てこない真緒と亮司の関係。
話のつじつまが合わないにもほどがあったので修正しましたが、ちょっとこれもう無理だよ。
◇ 確かに恋だった 〜君に、恋をした〜
掲載: 08/05/10