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指の隙間から、
零れ落ちていったものたち

 叫んだときには遅かった。
 珠洲はただ微笑って、唇だけが動いた。
 声は聞こえなかった。
 景色もはっきりと分かるのに、風の音も地を駆ける音も、何もしない。完全に無音だった。
 俺が珠洲と叫んだのは絶対でも、その声すら耳に届かない。
 手を伸ばして。
 必死に抱きしめて。
 お前が逝くなら、俺が逝くから。そう言い聞かせたいのに、全てが遅い。
 珠洲はただ微笑っていて。
 まだその笑顔を見ていたかった。全てを抱きしめて、傍にいて欲しかった。
 珠洲が光に包まれて―――――





「・・・――にきっ、兄貴!」
「!」
「うわあ、気が付いた?寝てると思ったらうなされてんだもん。びっくりしたよ」
 自分の部屋のベッドの上だとようやく気付くと、小太郎が心底安心したように笑った。
「ねーちゃん、来てるよ」
「珠洲が?」
「おう。今日、一緒に出かける約束してたんじゃねーの?なのに昼寝とか可哀想だろー。ダメだろー」
「うるさい」
 そう言えば、そんな約束をしていた気がしないでもない。ケータイに予定を入れているわけでもないので覚えてはいないが。
 とにかく、珠洲が来たならそんな約束をしていたんだろう。





 約束ができるんだ。





 些細なことで、こんな風に忘れてしまうことも多いが、俺たちにとってはこんなことすらできなくなるかもしれなかった。
 忘れられる幸せもあるのかもしれない。
 言ったら確実に拗ねられるが。
「兄貴、なんか嬉しそう・・・・・・?」
「なんでもない、気にするな」
 うるさくつきまとう小太郎をどうにか追い払って、ようやく玄関まで辿り着く。
 玄関までがここまで遠かったのは初めてだ。
「克彦さんっ」
 ようやく顔をみせた俺に、どこまでも明るい、バカみたいに楽しげな笑顔が向けられた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「また忘れて寝てましたよね?」
「・・・・・・・疲れていたんだ」
 不意にさきほどの夢を思い出した。
 鮮明すぎるほどに鮮明な映像。にもかかわらず、音が少しも聞こえない世界。
「大丈夫ですか?」
「ああ。別に」
「・・・・・・・・・・・・・・」
 いきなりぶすっとし始めた珠洲だ。いきなりなんだ。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・私は、克彦さんの負担になるだけですか」
「何を言っている」
 いきなり何を言い始めるんだ。
「たまにうなされてるって、小太郎君が言ってました」
「・・・・・・・・・・・それは、俺の問題だろ。お前は関係ない」
「じゃあ!・・・・・・・じゃあ、なんでうなされるたびに私の名前呼ぶんですか」
「!?」
「小太郎君が、・・・・・・そう言ってました」
 魘されるたびに見る夢はいつも珠洲だった。
 珠洲が俺に微笑えみかけて。光に包まれて。
 そして、俺から去っていく、そんな夢ばかりだ。
「いままで私は何度も間違えちゃったから。もう、間違えたくありません」
「間違えた?」
「真緒姉さんのこと。玉依姫としての決断。いっぱい間違えました」
「でも、今生きてる。それでいいじゃないか」
 何を今更と思う。俺たちは厄災を止めて、珠洲の従姉であり、俺たちの姉でもある真緒も戻ってきた。
 真緒も、今は天野と幸せそうに暮らしてるじゃないか。
「それでも、私はいろんなところでいろんな人に迷惑かけました。私さえ死んでいれば・・・」
「ふざけるな・・・・っ」
 俺たちの戦った意味を全て覆す言葉を、なぜよりにもよってお前に言われなきゃならないんだ。
 我ながら、よく手を上げずにいたと褒めたくなった。
 だが、珠洲は俺の低く鋭い声に怯えたようだった。
「・・・・・・・・ごめんなさい」
「お前が何か間違えたって言うなら、それは一度でも自分が犠牲になってやろうなんて馬鹿げたことを考えたことだ。それは考えるだけで、俺たちを信用してなかったってことになる」
「・・・・・・・・・でも、私はどういい繕ってもカバーできないほどバカで、みんなに庇ってもらう資格なんてなかった気がします」
「それを決めるのは俺たちだ。お前は黙って、守られていればいい。これからもそうだ」
 重森も、こいつと何度こんな会話をしてきたんだろうか。
 こんな先の見えないような会話にずっと付き合ってきたなら、大した神経だ。
「・・・・それがっ、嫌だって言ってるんです!人の話聞いてますか!?」
 いきなり声を荒げたと思ったら、マシンガンのように、溜まっていた分を吐き出すように、怒鳴り始めた。
「厄災を払うとき、克彦さん一人でやろうとしたじゃないですか!私なんている意味なかったじゃないですか!」
「いや、お前だって・・・」
「その前だって、何度襲撃されても私はただ守られているだけだった!私に力がないからみんなが傷ついてたの分かってたけど、何もできなくて・・・っ」
 そう言って今にも泣き出しそうな珠洲は、俺を責めていたはずなのに、いつの間にか過去の自分を詰っているようだった。
「私は克彦さんたちに最後の最後まで頼りきっていて、ダメで、・・・・・・・ああもうっ、言いたいこと分かんなくなっちゃったじゃないですか!」
「そんなこと知るか!」
 朝から涙目になってる珠洲相手に、何をこんなに怒鳴らなくてはいけないんだ。
「お前は、ただ守られていればいいって言ってるだろう!」
 キッと俺を睨み付けた珠洲が口を開こうとしたのを封じるように続ける。
「俺は・・・っ、俺たちは守りたいものをいつも守れなかった・・・!」
 父さんは俺たちの知らない場所で死んでいった。
 そのことで郷で何度小太郎が、俺が辛い目に遭ってきたか。それでも、小太郎だけは守ってやりたかったのにできなかった。
「それでも、お前だけは守れたんだ。いくつも零れていったものがある中で、お前だけは俺のところにいるんだ」
 だから、
「お前は俺が最後まで守ってやる。もう二度と同じことを言わせるな」
 随分前に同じことを言った気がする。
 お前は俺が守る。そう決めた。
 あれは真緒との直接やり合ったときだったか。





「お前が俺の生きる意味だ」





「!」
 珠洲の目に浮かべられていた怒りが静まっていくのが分かった。
「あ、の・・・」
「なんだ」
 短く答えると、何も言えなくなったのか俯くばかりだ。
「・・・・・・いえ、何でも・・・・・・・・・」
「あの、さ」
 いきなり後ろから声がする。
「小太郎!?」
「あの、言いづらいんだけどさ・・・・・・」
 いつからいたんだと問いただそうとしたが、先に小太郎に続けられてしまった。
「あんまり朝からバカな喧嘩しないでほしいっつーか・・・」
「え、小太郎君どこから聞いてたの!?」
「全部。玄関で馬鹿でかい声の喧嘩されたら二階でも奥の部屋でも気付くだろ・・・」
 珠洲が絶句して、意味の分からない怒りの視線を俺に向けてきたのは何でだ。





克彦がホントにこんな言動するかどうか考えてみましたが、しそうになかったですね。
捏造もいいところですみません。イメージ崩れた方も多かったかな…orz
Arcadia. 〜護りたかった君へ長文10題〜
掲載: 08/05/06