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二人でお祝いしよう

「一哉くん、今年の誕生日って・・・何かある?」
「あるな」
 朝、むぎの用意してくれた朝食を食べているとき、いきなり話題を振られた。
 俺の誕生日を周りが放っておくはずがないだろう。
 既に会場も押さえてあるし、招待状もありとあらゆる方面にばら撒かれているはずだ。
「そっか」
「・・・・・・・悪い」
「気にしないで。ちょっと二人でお祝い出来たらなあって思っちゃっただけだから」
 いまさら予定をどうすることもできないと分かっていても、むぎが少しでも俺を祝ってくれようとしたのなら嬉しいと思う。
 普通ならできるんだろう。ただ俺の場合は、「普通じゃない」ときにしかむぎと誕生日なんて迎えられない身だ。
 むぎも分かってくれている。・・・・・・・・・・と思う。だからこそ、こうしてどんなイベントごとのときも笑ってくれるんだろう。
「あ、じゃあ誕生日の近くに予定空いて―――はいないんだろうけど、少しでいいから空けられるときってある?」
「手帳でも見てみないことにはちゃんとしたことは分からないが、翌日は午後からの仕事が早く終わるはずだな。その次の日からは、大学も入っているが」
「あ。一哉くんも大学生だったね」
「一応、大学生だ。もう試験も終わっているし、ただ少し顔出ししたいだけなんだが・・・。その辺りでもいいか?」
「うんっ、じゃあ19日。楽しみにしててね!」
 これ以上ないほど曇りのない笑顔に、少し安堵して、つられたように笑ってしまった。






 2月18日。
 誕生日当日。
 昨晩はむぎが泊まりに来ることもなかったので、朝食を抜いて出勤した。
 そのため、少し早く会社に着いたわけだが、今朝から各方面から誕生日のプレゼントが届いてきているらしく、秘書が大慌てで振り分けていた。
 ちょうど4日前にバレンタインがあったばかりだったから女性からのプレゼントは少ないが、男性からはそれなりに来ているらしい。
 宛名はあまり確認していないが、例年がそうだ。
 日本において、バレンタインに男性からプレゼントを貰うのはほぼありえないし、あまりほしくない。
 去年はクリスマスも、バレンタインも、誕生日もあいつと一緒に過ごしたんだったな――。
 たった1年前だ。
 取り囲む世界は変わりないのに、今年は随分面白くなさそうな誕生日になってしまった。
「――仕方ないと分かってはいるが・・・」
「社長?何かおっしゃいました?」
「いや、何も。今日のスケジュールを確認したいんだが―――」
 今日はともかく、明日は会える。
 そう思うだけで、ふと口もとに笑みが浮かぶ。
「何笑ってるんですか・・・・・?」
「うるさい」
 気持ち悪そうに言うな。





 もう夜中の11時を回った頃。
 オフィスに独りで残り、プレゼントの礼状を書いていた。
 テンプレで送れれば早く済むものを、わざわざ全員に違う文面で送らされていた。
 祖父も父もそうしてきたと言われたら、こちらも従うしかないだろう。祖父なんて手書きだ。それを免れただけでも喜ぶしかない。
 ―――数ヶ月前の元旦の悪夢は思い出したくもない。
 思い出したら、なおさら疲れてきた。
 早く明日になってくれないか。
 以前だったら、家に帰りたいと思うだけで充分だった。
 だが、今はむぎと半同棲生活とは言え、家に帰れば必ずいるわけでもない。今日なんて、会えないと分かっているのだから、家で大人しくしているだろう。
「掛けて・・・みるかな」
 もう真夜中近い。家にはいるだろう。だが、この時間ならまだ起きているに違いない。
 風呂に入っているかもしれないが、それならその時だ。明日まで我慢すればいいだけの話だ。
ええっと、あと13時間強?
 覚えてしまった鈴原家の番号をプッシュしながら、会えるまでの時間を考える自分が、いい加減女々しく思えてくる。
 会うのをここまで楽しみにするのかよ。
 自分で自分に突っ込みを入れてみるが、面白くもなんともなかった。
 面白くなかったなどと思っている間も、電話は呼び出し音のままだ。
 このままだと留守電か?
 時計を見る。11時15分。
「・・・風呂か」
 仕方ない。
 一言話せるだけでもいいと思っていたが、今日は無理そうだ。
 いくらむぎしかいない家だと言っても、こんな時間に何度も電話する必要もない。
 あと13時間13時間・・・。
 とにかく、この返信だけでも終わらせないと明日の予定に響きかねない。
 13時
間以上離れているのは無理そうだった。






――保存。
 最後の1通を保存して、ようやく一息吐く。
 11時52分。
 いつもならもう少し仕事していくところだが、膨大な量の礼状に、会議書類、報告書の束の山。
 そんなものに囲まれて、少し疲れを感じた。
 これでむぎがコーヒーの1杯でも淹れてくれさえすれば、あと2時間が粘れる気がする。
 一宮に聞かれたら、即切って捨てられそうなことをぼうっとした頭で考えて、受話器をとった。
『――はい、お帰りになりますか?』
 専属の運転手は、受話器の向こうで淡々とそう聞いてくる。
 時間が時間だ。それ以外の用は思い浮かばなかったんだろう。
 さすがにこの時間から夕食に出るとは言わない。
「ああ、頼む」
『畏まりました。すぐに向かいます』
 受話器を置くと、すぐにコートに手を伸ばす。
 帰ったら、とにかく寝よう。どうせすぐに叩き起こされそうだが、寝れるだけ寝たい。いつも以上に疲れた。
 重要な書類と、パソコンだけが入った鞄を取り上げたとき。
 コンコンコン。
「・・・誰だ?」
 ノック音。まだ誰か残っていたのか。
 帰ろうとしていたのに、こんな時間に何かあったのか。
『え―――ていい・・・・・・か?』
『いらっしゃ・・・・ので、ど・・・・・・・』
 短い会話がところどころ聞こえると、聞きなれた秘書の声で失礼しますと断りが入った。
「もう帰るところだったんだ。何か問題でもあったのか?」
「お帰りだったんですか。まだ下に車は来ていなかったようなので、もう少し残られるのかと」
「ああ。たった今、呼んだところだ。それよりも、何か用だったんじゃないのか」
「はい」
 普段、にこりともしない彼女が珍しく上品に微笑む。
 何だ、何があったんだ。
「どうぞ、お入りください」
「え――むぎ!?」
「一哉くん、お仕事終り?」
「お仕事終り?じゃない、なんでこんなところにいるんだ?」
 会えないって言っておいただろ。
 家でゆっくりしているのかと思った相手が、なんでここに。
 いや、去年―――バレンタインにも同じことがあった。
 去年のバレンタインが昨日のことのようにフラッシュバックしてきた。
 中泉問題が持ち上がって、その関係で絢子と一緒にいる機会も多くなったことで、むぎが不安になっていた。
 それは分かっていたが、むぎは俺を信じていてくれると思ったし、実際絢子と何があったわけでもない。初恋の相手だからと言って、むぎがいるのに他の女に目を奪われるわけもない。
 だが、それはむぎには伝わっていなかったんだろう。不安そうだった。笑顔でいてくれたその影では、怒りもあっただろう。
 そんな色々なことを話した気がする。
「誕生日でしょ?迷惑って言うのは分かってたんだけど、どうしても会いたいなって思ったから、来ちゃった」
「来ちゃった・・・・・・・って・・・。どうやって」
「うーん、途中までは電車で、そのあとは適当にタクシー捕まえて」
「危ないだろ!?今何時か分かってるのか!12時だ。さっき電話したときにでなかったのは外に出てたからかよ!?」
「社長・・・!」
「え」
 秘書に呼ばれて少し落ち着くと、むぎは俯いてしまっていた。
 秘書を見れば、無言で睨まれる。
 むぎの味方かよ・・・・。
 セキュリティは夜の方がしっかりしている。きっと正面入り口あたりで困っているところを助けられたんだろう。
 こいつだったら、困ってなんかいずに、閉まっているのも構わず開けようと試みそうで恐いが。むしろ、絶対やってるだろ。
「・・・・悪い。つい・・・・・。こんな夜中に出てくるなんて、無用心すぎるだろ」
「・・・・・・・・・ごめん」
「いや、俺も厳しく言いすぎた。それは謝る。・・・・・・夜中だって言うのに、何の用だ?」
 何となく察しはつくが、本当にそのためだけに来たのか?
「うん、誕生日プレゼント持ってきたよ!」
 やっぱり。
 さっきまでの落ち込みようとはうって変わって、満面の笑顔だ。
 後ろに控えている秘書も、堪えてはいるものの微笑ましいものでも見るかのような表情になっている。堪え切れてないぞ。
 仕方ない。
「悪い。少し二人でいてもいいか?」
「・・・・・・では、のちほど鈴原様は私がお送りいたしますので、お呼びください」
「いや、いい。俺が送るから」
 運転手には悪いが、むぎの自宅まで回ってもらえばいいだろう。
「いえ、明日は朝から会議が入っていますので、遅刻されたら困ります。鈴原様は責任を持ってお送りさせていただきます」
「・・・・・・・・・・・・・・わかった」
 思わず、思いっきり不機嫌な声音になってしまったが、それくらいは許されるだろう。
 送っていくだけで、何もしない。するわけないだろう。―――――多分。きっと。
 自分のむぎに対する理性の弱さはそれなりに自覚しているつもりなので、何もないとは言い切れないのが辛い。
 返事にとりあえずは満足したのか、一礼して部屋を出て行った。
「あたしケーキとプレゼント渡したかっただけだから、いてもらってもよかったんだよ?」
「俺が気になるんだ。それに、せっかくの誕生日にむぎが来てくれたのに、邪魔がいるのもな」
 邪魔と言い切って悪い気もするが、むぎがいるなら邪魔だった。明日謝っておこう。
「さっきは迷惑みたいなこと言ってたけど」
「迷惑だなんて思うわけないだろ。ただ、本当に危ないと思ったんだよ」
「そうかなあ・・・」
 タクシーだって本当なら警戒したいくらいだ。
 なのに電車?こんな時間だ。酔ったサラリーマンにでも絡まれたらどうする気だよ。
「でも、何もなかったんだからいいでしょ?」
「結果論だろ・・・・・・」
 むぎの危機感のなさには呆れるが、この純粋さも愛しいと思った一つだ。今回は何事もなく済んでくれた。次からは、俺が傍にいればいい。
「一哉くんは本当に心配性だね」
「心配性にもなるさ。お前が相手なんだからな」
「そんなに無用心に見える?」
 分からないというように、軽く首を傾げられる。
 妙に子供っぽい、可愛らしい仕草に早くも理性が飛びそうになる。
 くそ、これは計算か?
 違うと分かっていても、思ってしまう。頼むから、こんなところで試そうとしないでくれ。秘書も、下がった振りしてるが絶対扉の向こうに待ってるだろ。
「・・・・・・見えるよ」
「え。・・・って、ええっ」
 肩を掴んで、壁に押し付ければ大した抵抗もなく、驚きの声をあげただけで終わってしまう。
 こういうところだけは、そのまま「女の子」だ。
 じゃじゃ馬で、危なっかしくて、いつも見ていなければ安心できない、そんなところもあるがこうしているときはただの女だと思う。
 そのギャップも、最近は面白いと思うようになってきた。
 元々、どんなむぎだって、むぎがむぎらしくあるなら好きだったのかもしれないが。
「で、誕生日プレゼントだったか?」
「そうだけど、でも、一回離してくれない?」
「嫌に決まってるだろ。プレゼントはこれか?」
 ケーキと思しき四角の箱と、もう一袋、何か持っている。
「あ、うん。何がいいかなって思ってたんだけど」
「うん?」
「・・・・・・・・・・・マフラーとかだめ、かな」
「ぶっ」
 吹き出した。
「え、ちょ、ダメ!?ダメだった!?やっぱり何かずれてた!?」
「おま・・・え、もう2月も後半ってときに敢えてマフラーかよ」
 むぎらしい、冬だからマフラーと言うような安直な考えだ。
 寒ければマフラー、手袋は間違ってはいないだろうが、残念なことにもう2月だ。寒い時期なんてあと1ヶ月もすれば終わる。
「せっかく頑張ったのに・・・」
「頑張った?探すのを?」
「編むのを」
「ごほっ」
 今度は咽た。
「なんでさっきからそんな反応ばっかり!?」
「編んだってお前、マフラーを?」
「うん」
 取り出されたマフラーは、丁寧に模様まで入れてある。家事全般が得意どころか、編み物までできるのか。
「棒編に挑戦してみたんだ。初めてなのに柄まで凝りたくなったら時間かかっちゃって」
 初めてとは到底思えないほどの出来栄えのマフラーをひらひらと目の前で振りながら、そう笑う。
 やったことがないから分からないが、一目一目とっていく作業は大変だろう。目を落としたりしないんだろうか。
「・・・・・・・上手いな」
「そう?ありがとう」
 少し照れたようにしながらにこりと笑う。
「手間、掛かったんじゃないのか」
「うーん、それなりには」
 どれだけ掛かったのかは、聞くだけ野暮のような気もする。
「時間は覚えてないけど、割と掛かったんだよ。編み物自体初めてだったから、毛糸絡まっちゃうし、目は落とすし、表編と裏編分けわかんなくなっちゃうし」
 思いっきり初心者の俺には、表編と裏編の違いすら分からないわけだが、とにかく難しい物だということだけは分かった。
「でも、渡したかったんだ。今日。どうしても」
 マフラーを袋に戻すと、ケーキの箱ごと渡される。
「誕生日おめでとう。マフラーは使ってくれなくていいよ。ただ、どれだけ時間をかけても渡したいって思うほど、一哉くんのこと想ってる」
「・・・・・・ありがとう」
 むぎの肩から片手だけ外してプレゼントを受け取る。
 むぎの声だけでも聞ければいいと思っていた1時間前。
 それが、むぎが目の前にいて、こうしてプレゼントまでくれる。
 俺自身に、去年のようなイレギュラーが起こらない限りありえないと思っていた現実は、実際はこうも簡単に起こってしまう。
 今までの女達だったらありえなかったことを、むぎだったら軽くやってしまう。
 無茶だと思うことも多い、手の掛かるやつだと思う日々だ。
 でも、そんな彼女が――――愛しくて堪らないんだ。
「ありがとう」
 もう一度繰り返して、むぎの顎に手をかけ少し上を向かせる。
 そうして一瞬見詰め合ってから、同時に目を閉じた。







 そして、この見詰め合った一瞬がいけなかった。



「社長、もう12時になるのですが」
「っ!」
「おい!」
 あと1秒。いや、0.5秒あったら・・・!
「なにかまずいことでも?」
「まずくなかったと思えるその神経を疑うな」
「歯止めが利かなくなって、明日会議に遅刻ということにでもなったら、困るのは社長かと思っていたのですが」
「・・・・・くっ」
 たかだか数分で遅刻が変わるわけもない。絶対今のタイミングを狙ってただろ。
「鈴原様、お送りいたしますね」
 最高の笑顔でむぎに笑いかけると、そのままドアに連れて行く。
「・・・・はあ・・・気をつけて帰れよ、むぎ」
「うんっ」
 笑顔でバイバイと手を振り、オフィスからの長い廊下を秘書と一緒に歩いて行った。





 時計を見れば、時間は11時59分だ。
 二人っきりの誕生日はたった7分で終りを告げた。
「帰ろう・・・」
 運転手もきっと待っている。今からむぎを追っても、もう追いつかない。
 あと12時間後にはむぎを独占できるのだから、諦めなくてはいけないかもしれない。
 鞄を持ち、机の上に置いておいたケータイを取り上げる。
 ケータイの待ち受け画面をむぎの寝顔にしてることは絶対に秘密だ。誰にも見せられない。
 どうしてもむぎが見たくなって、ケータイを開いたとき。
 メールの着信画面にちょうど切り替わっていた。
 送信者は・・・・・・・むぎ?
「ハッピーバースデー・・・一哉、くん?」


Happy Birthday!一哉くん。
日付変わると同時に送れたらよかったんだけど、
誕生日過ぎる直前でごめん。
プレゼント、受け取ってくれてありがとう。
ケーキは自信作だよ。きっと美味しいと思うから、食べてみて。
マフラーは、あんまり上手くできなくてごめんなさい・・・。
今年も1年、一哉くんがずっと一緒にいてくれると嬉しい。
それ以上に、一哉くんに何も起こらないと嬉しいなって思います。
夜中にごめんね。おやすみなさい。
明日楽しみにしています。


「こっちこそ、ありがとう、だろ」
 俺の方こそ一緒にいてくれと思うさ。
 そう付け加えた瞬間に日付は2月19日を表示した。




 終わった誕生日もよかったが、12時間後が楽しみで仕方ない。
 そんな本心を言ったら、むぎには怒られそうだと肩を竦めた。





結構バタバタしながら書いたはずなのに、無駄に冗長。
むぎが思っていたより大人しくなってしまって、変な気が・・・。
最後の方の12時間云々は、14時間逢えないだけで拗ねた一哉が可愛かったので。
◇ calor season 〜誕生日〜
掲載: 08/05/10