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この体勢の意味分かってる?

香穂子が俺の部屋を訪ねてきたのは、約1時間前。
 今日は会う約束をしていたわけでもないし、学校があったら、まさかいきなり訪ねてこられるなんて思ってもいなかった。
「突然来たら、相手が迷惑かもしれないって考えないのかお前は」
 日野様がお見えになりました、と告げられたときは思わず「どちらの『日野様』?」と訊いてしまったほどだ。
 まさか、不躾に訪ねて来られるなんて思ってもみなかった。
「え?火原先輩に言われてきたんですけど。聞いてませんでしたか?」
 玄関先で香穂子を迎えると、少し困った顔でそう告げられた。
「火原?」
「はい。今日は柚木の誕生日だから、行ってあげたらきっと喜ぶよ!って。それに、『柚木が来て欲しいってさ』って言われたので、珍しいなと思っていたんですが――。火原先輩の早とちりだったんですね」
 そう言って笑うと、鞄をガサガサとあさり始めた。
「俺は何も言ってないよ。火原なりに気を遣ったのか――?って聞いてるのか?香穂子?」
「おめでとうございます!」
「人の話は聞くように――――って、これは?」
 目の前に差し出されたのは、淡いグリーンの包みだった。
 小さい箱で、片手に乗るほどの大きさだ。
「もちろん、先輩への誕生日プレゼントです。今週末のデートじゃないと渡せないかと思ってたんですけど、火原先輩のはやとちりのお陰で今日渡せてよかったです」
 はい、と渡されたそれを受け取る。
「学校で会わなかったか?俺たち」
「会いましたよ。お昼一緒に食べられてよかったです」
「なのに、なんでその時に渡さないんだよ。しかも、今週末って今日は何曜日だと思ってる?まだ火曜だって分かって言ってるの?」
 そう、まだ今週が始まって2日目。一体、何を考えたらそんなことになるのか。
 そう言って言外に責めると、また困った顔をする。
「私だって渡したかったですけど、怖いんですもん」
「俺が?」
「なんで怖いと思っている人の家に、こんなに気軽に来れますか。先輩ってたまにとぼけてますよね」
「面白い発言を聞いた気がするけど、僕の気のせいだよね日野さん?」
「ええもちろん!」
 笑顔で聞いてみれば、引き攣る表情をなんとか誤魔化そうとしながら、勢いよく肯定する香穂子。
「っく。最初から言わなければいいのに。で?何が怖いって?」
「――柚木教信者の方々に決まってるじゃないですか」
「・・・・・・・・・・」
 これは、笑う場所なのか、『バカじゃないのか』と罵倒する場所なのか。
 あまりにも悩みすぎて、突っ込む隙を逸してしまった。
「って、私は先輩が呼んでるって言うから来ただけなので、これで失礼しますね!先輩方がいるかもしれないので、すぐに戻らないと厄介なことになるので」
 はっと気づいた香穂子は、本気で帰ってしまう気のようだ。
 一体何をしに来たのか。――いや、このプレゼントを渡す為だろうけれど。
「お前、まさか本当に帰る気なのか?」
「だって早く帰らなきゃ、絶対に先輩たちに見つかるんですよ〜」
 泣きそうな声でそう嘆く香穂子を見て、ため息をつく。
 香穂子の言う先輩とは、きっと親衛隊だ何だと言って纏わりつく連中のことだろう。
 あんなのは放っておけばいいと思うのだが、マジメな香穂子にとっては放っても置けないのだろう。
「なら、後で送ってやるよ。どうせ時間あるだろう?上がって行けよ」
「え?ご迷惑なんじゃなかったんですか?」
「いきなり来たら、もしかしたら迷惑だろうから気をつけろって言っただけだろう。俺が今、忙しかったわけじゃないさ」
「・・・・・先輩、本当に分かり辛いですね」
 不満げに睨みつけてきた香穂子の前に、スリッパを出してやりながら言う。
「ずっと一緒にいれば、分かるようになるんじゃないのか?」
 この意味を、お前は分かるだろうか。


 まあ、この後甘い展開になるだなんて、期待はしていなかったよ。
 だからと言って、ここまでされると、俺は一体なんだと思われているのかと思うのだけれど。
「香穂子、床に座って楽譜を読むのは止めた方がいいんじゃないのか?」
「えっ?す、すみません!」
「別に謝ることではないけれど・・・・・」
 謝ることではない。唯、ただでさえ短いスカートが正座をすると尚短くなってしまうんじゃないのかという話だ。
 これでは、俺はまったくの安全パイで、警戒されることもないという事だ。
 別に警戒されたいというわけじゃないが、ここまで無防備にされると、情けなくなってくる。
「今日、先輩の誕生日じゃないですか?プレゼントだけじゃ悪いので、拙いですけど、ヴァイオリンで何か弾こうかなって思ってて。でも、弾けそうなのないですね」
「そう?お前がセレクション中に練習していた曲もあると思うけれど」
 椅子に座って、香穂子の選曲を見ていたのだが、何曲か見繕ってみる事にした。
 確かにヴァイオリン初心者の香穂子に弾ける曲は限られているだろうが、それでもコンクール三位を取ったくらいの腕前だ。
 簡単な曲にすれば、初見で弾ける曲もあるだろうし。
「そうですか?私、小さい頃にピアノやってたんですよ」
「ん?」
 何故、いきなり話が飛ぶのか・・・・。
 楽譜を探す手は止めずに、軽く返事をする。
「で、好きな人が出来たら絶対にその人の誕生日に曲を弾いてあげるんだって思ってたんです。――先輩の誕生日なのに、私の夢が叶ってしまって申し訳ないんですけどね」
「!」
「来年も、その次の年も、私に弾かせてくださいね。先輩さえよければ、合奏したいので下手ですけど相手してもらえたら嬉しいです!」
 自分の言っていることが、どれだけ俺の理性を揺さぶっているのか分かっていないのだろう。そりゃもう、満面の笑顔で言っている。
「ありがとう。でも、ごめんね、その夢は叶わなそうだよ」
「え?」
 なんでそんなことを言うのか分からない、と酷く不安げな表情を浮かべる香穂子に満足して、抱き寄せる。
「悪いけど、香穂子には――」
「え――!?」
 抱き寄せ、髪にキスを落とすとそのまま押し倒す。
「こっちでお相手して頂きたいな」
 ここまで言えば、さすがに分かるだろう。
 首筋に顔を埋めて、軽くキスを。
「―――――」
 不思議そうに見つめ返してくる香穂子。
「香穂子?」
 少しは慌てるとか、顔を赤らめてみるとか、反応の仕方は幾つかあるだろうに何も反応しない。
「香穂――」
「え。何ですか?」
「え?」
「先輩?なんで馬乗りになってるんですか?先輩がいくら痩せているって言っても重いですよ!」
 抵抗どころか慌てることさえなく、あまつさえ、冷静に重いから退いてくれとまで言ってくるこいつは、本当に高校生だろうか。
 天然培養の深窓の姫君だって、香穂子くらいの歳になればこのくらいのこと分かると思うのだが。
 そう思って脱力しそうになったが、なんとか持ちこたえる。
 分からないのなら、教えてやるのだって、それはそれで面白いだろう。
 香穂子に『凶悪的なまでに胡散臭い笑顔』と言われた笑顔を浮かべて、最後通告のように告げる。


「この体勢の意味、本当に分からない?」


 そこでようやく慌て始めた香穂子を難なく床に縫いとめて。
 結局、合奏は愚か、日付を越えるまでに家に帰ることすら叶わなかった香穂子は、翌日ずっと俺を睨みつけていた。



 お前からの視線なら、たとえどんなものだろうと嬉しく感じる自分は、相当参っているんだろうなと自嘲する。





相当前に書いたであろう作品。
今ならもっとマシなもの書けそうなのに…
◇ 恋したくなるお題 〜俺様に捧ぐ台詞〜
掲載: 08/05/06