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光溢れる街

 電気も消して、暗く静寂だけの夜。
 もう寝なきゃいけないのに、どうしても眠れない。
 何度も舞台には上がったのに。
 それでも、明日が怖い。
 これが最後。
 これで学校の移転も分割も決まってしまうかもしれない。
 そう思えば、ヴァイオリンを持つ手もぎこちなくなってしまいそうだ。
 暗い中でも手を伸ばせば、いつもの位置にケータイが置いてある。
 メールボックスを開けば、この数ヶ月ですっかり見慣れたアンサンブルメンバーの名前と、先輩の名前。今日に限っては、珍しく金澤先生までメールをくれていた。
『今日は早めに休んで明日に備えるといい』
『明日、神聖な気分でコンサートを迎えられそうだよ』
『明日も適当に頑張りなさい』
『コンサートでのきみの演奏を楽しみにしているよ』
 こうして一人一人からのメールをゆっくり見ていると、それだけで少し落ち着く気がする。
 先輩だって大丈夫って言ってくれた。
 先輩が期待してくれた。
 大丈夫、きっと大丈夫。学校を理事たちの思うようになんて絶対させない。









――――――ブラーヴォ!
――――――ブラヴォー!
 最後の曲が終わった時。
 客席から大きな歓声が上がって、ようやく終わったんだと思えた。
 今まで体験した中で一番大きなコンサート。
 800人近くが来場しているという。もしかしたら、もっといるかもしれない。
 そんな中で、終わったコンサート。
 ふと横に目を向けてみれば、同じ舞台に立つのは月森くん、志水くん、加地くん、柚木先輩。
 他の2曲も含めれば、みんなで作ったコンサートだ。
 舞台袖には、先生も王崎先輩もいてくれて、拍手してくれている姿が見えた。
 これで終わったんだ―――。
 そう思って、力が抜けそうになるのを必死に堪えた。







「・・・先輩、早くないですか」
「早かったかな」
 いつもの意地の悪い笑顔で返すのは、柚木先輩で。
 人には上着を羽織って来いなどと言うくせに、自分の方はと言えば舞台衣装そのままだ。
「ちゃんと、言ったとおり、寒くない格好はしてきたみたいだね」
「さすがに何も羽織らなかったら寒いですよ、この雪の夜に」
「それに気づく程度には周りは見えてるわけね」
 相変わらずの言葉ばかりだ。
「・・・クリスマスくらい、優しくしてくれてもいいと思います」
「優しくして欲しいの?俺に?」
 改めて言われると、限りなく微妙だ。
 優しくはして欲しい。でも、それが柚木先輩だと思うと・・・。違和感がある気がする。
 加地くんとか火原先輩なら、言わなくても優しくしてくれそうだけど。
「誰のこと考えたのかな、日野さん?」
「もちろん柚木先輩が優しく笑ってくれたら嬉しいなあって!」
「棒読みなのは気づかない方がいいかな」
「是非気づかない方向で」
「何だこの会話。・・・・・・まあ、そうだね。いいよ。手を出してご覧」
 なんだろう。
 そう思いながら、おずおずと手を出してみる。
「そう警戒しなくてもいいだろう? ほら、これを取りに行っていてね」
 ぽんと乗せられたのは縦長の箱のような物だった。
「鍵をモチーフにしたネックレスだよ。面白いだろう?」
 そう言うと、後ろに回って着けてくれる。
 髪を分ける手つきも、いつもよりずっと丁寧で思わず緊張する。
「着けるだけなんだから、そんなに硬くなる必要もないと思うけど」
「そ、そんなことないですよ」
「ほら。・・・・・・似合っているよ」
「う」
 いきなり至近距離で微笑むのは反則だと思う。
「――――お前はずっと変わらないね。出逢った頃も、そうやって俺の行動一つ一つに驚いたり、固まったり・・・たまに反発してくるのも面白かったよ」
「そんな行動してますか・・・?」
「してるね。でも、行動が読めなくて面白いと思うよ、本当にね。お前はずっと変わらないけど、俺は―――変わった。変わらないと思っていたものは、思っていたよりもずっと脆くて、崩れやすいものだったんだって気づけた。そう知った今でも、変わらないでいて欲しいと思うものもある。お前は、香穂子は変わらないでいてくれる?」
「わ、私ですか?」
 大真面目な顔で訊いてくる先輩に思わず声をあげてしまった。
 そうすれば、くっとのどの奥で笑われた。こっちは真剣だったのに。
 抗議するように睨むと、さらに笑われる。
「そう、お前だよ。お前は当然俺のそばに今までと変わらずにいるって思ってる。そう思うのは俺だけか?」
「―――!」
「俺だけじゃない、そう思ってもいいよね?」
 いいよね、などと聞いてきていても、確信している笑顔の先輩だ。
 強がってみても意味はない・・・のは分かっているけれど。
「・・・・・・私、まだ何も言ってませんよ?」
「お前、俺のそばにどれだけいたと思ってるの?分かるよ、口でどう言っていても」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
 ここまで自信ありげに言う人も珍しい。
 今、絶対呆れたような顔をしているはずだ。
「おいで、クリスマスにしか見れないものを見せてあげるから」
「クリスマスにしか見れないもの、ですか?」
「クリスマス一色の街」
「そのくらい見たことあります!そりゃ、今までクリスマスを誰かと過ごすなんてことはしたことないですけど・・・」
 さすがに失礼だと文句を言うと、今度は先輩に呆れられた。むしろ、可哀想とでも言われているようだ。
 放っておいてください、憐れまないで下さい。
「怒るなよ。まあ、可哀想だと思わなくもないけど、クリスマスを誰かと二人で過ごしたことがないってところは、俺も一緒だからな」
「先輩が?」
「誰か独りと過ごしたら、それこそ相手に大迷惑じゃないか。お祖母様も許さないと言わんばかりに予定を入れ続けるからね」
 はあ・・・と曖昧に頷いてから気づいた。
「ちょ、え、私だったら迷惑かかってもいいとかそういう話ですか!?」
「・・・・・・・・・・・・・おかしいおかしいとは思っていたけれど、ここまで話の飛躍がすごいとは思ってなかった」
 冷静に考えたらそういう意味ではないだろうか。
 よく分からない言葉で、クリスマスを一緒に過ごしてもいいくらいには思ってくれているらしいのは分かった。
 それでも、理由が酷い気がする。
「いい?一つだけ、絶対忘れるなよ。俺は、お前に傍にいていいって言ったんだ。クリスマスだけじゃない。ずっと、これからも。それを当然だと思ってる」
「・・・・」
「今までもクリスマスの予定を反故にしようと思えば、いくらでもできたさ。でもしなかったのは、それで被る相手の迷惑と俺自身に降りかかる厄介ごとの所為だ。面倒だろう、クリスマスを楽しく過ごしたと思ったら、翌日に一気に現実に引き戻されて説教だなんて」
「それは・・・まあ、そうですね」
「でも、今年は予定を全部キャンセルさせて、このコンサートに来たんだ。お前と舞台に立つためにだよ。他の奴らはどう考えてるか知らないが、俺は学院のためにアンサンブルをしてきたわけじゃない。前に言ったよな、俺は本当にフルートが好きだったんだなって」
 ピアノの道を閉ざされて、その代わりにフルートを始めた。そう言っていた。
 あのままピアノを続けていたら、きっとフルートになんて目も向けなかっただろう。
 フルートはピアノの代わりでしかないと思っていた先輩でも、いざフルートを辞めなければならないと突きつけられた時に、本当にフルートとその音色、フルートのために集められた音たちを愛していたのだと気づいた。
「俺はフルートを本当に愛していると気づいたから、自分自身のために吹いていたよ。そして、お前のために、だ」
「私?」
「学院が分割されるのは来年以降の話だろう。俺は卒業だし、関係ないからね。でも、お前がアンサンブルをやるというのなら手を貸そうと思った。俺にそこまで思わせたお前はすごいね」
 すごいと言われたのに、あまり褒められた気がしないのはなぜだろう・・・。
「褒めてるんだよ。それに、俺に明日残酷なくらい平凡な現実が突きつけられるとしても、今晩、一緒にいたいと思わせたのもお前だ。意味は分かるね」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・香穂子?」
「・・・・・・・本気にして、あとで本当についてくるなんて馬鹿だなとか言いません?」
 本気で呆れたようで、ため息を吐かれた。
「そこまで酷い男だと思われてる?」
「今までそうならなかった例を見てみたいくらいです」
「・・・・・・・・・・・あったんじゃないか?」
 あったとは言いつつ、あまり思い出せないらしい。絶対なかった。
「まあ・・・いいよ。今はそう思っていても。これからずっと俺の隣にいるんだ。これからちゃんと分かってもらえばいいさ」








 その晩見た景色は忘れられないくらい幻想的で。
 近くで見ればただの電球だったり、ツリーの電飾なのに。
 空から見る光は、ただただ暖かな優しさを目に見えるようにしたような、そんな色だった。
 そう思ったのはクリスマスだったからかもしれない。
 普段は見ないような、夜の街を見下ろした所為かもしれない。
 隣に、先輩がいたからかもしれなかった。



―――あの光は、お前に似ているね。
   普通の、どこにでもいそうな女の子なのに、少し遠くから見てみると、信じられないくらい輝きはじめる。
   そうすると、どうしようもなく不安になる。
   誰かに盗られるんじゃないか、誰かのところへ行ってしまうんじゃないかって。
   だから、ずっと隣にいると約束してくれないか。
   自分でも驚くよ。俺がこんなことを言うなんてな。
   言われるところはいくらでも想像できても、言う日が来るなんて思ってなかった。
   でも、それでお前がずっと俺を見ていてくれると思えば、簡単だとさえ思えるよ。


愛しているよ―――・・・




2007年のクリスマス用に書いたものです。
「この白い雪と」でできなかったモノローグをこっちでやれてよかった。
◇ color season 〜クリスマス〜
掲載: 08/05/06