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掠める光

「ただいまー」
 疲れたような、いつもの兄貴の声。
「お帰り、夕食先に食ったよ?」
 リビングから叫び返す。
 いつものやり取り。最近、教え子のリサイタルが立て込んでいるとかで、母さんは毎日のように音楽会へと足を運んでいる。父さんは、いつも帰ってくるのが遅いから気にしない。
 そう、いつものやり取りだったはずなんだ。
「お邪魔します」
「えっ?!」
 明らかに女の子の声だと分かる声。な、何?
 思いっきり、廊下とリビングを繋ぐドアに目を向けると、丁度開かれる。
「あ、こんばんは。・・・えっと、梁太郎の弟さんだよね?」
「そ。紹介するな、俺の友達の日野香穂子。で、こっちが、俺の弟で陸。今、中3。ほら、挨拶しろよ」
「え・・・・あ、こんばんは・・・・」
「こんばんは、陸君。『陸』なんて梁太郎とは全然似てないね」
 顔は似てるのに、と微かに微笑みながらその人は言った。
「あの、お母様は?」
「母ですか?今日はリサイタルへ呼ばれていて・・・・」
「え?!そうなの?お父様もお帰りになっていないようだし・・・。私帰ったほうが良くない!?」
「いいよ別に。それに、お前行くあてあんのかよ」
「え、菜美の家に泊めてもらうから!」
 なんなのだ?いきなり来たと思ったら、行くあてだの泊まるだとか。
 まだ、状況を把握し切れていないこっちの身にもなってくれ。
「お母様か、お父様がいらっしゃれば・・・・と思っただけだから・・・・」
「もう何度か会ってるだろ?大丈夫、香穂のことは娘同然に思ってるから、明日の朝
一緒に飯食ってても、2人とも違和感覚えないって」
「ありえないでしょう」
 どうしよう、と戸惑っている日野さん。
 いや、戸惑いたいのは俺ですよ。いきなりなんなんですか。
「兄貴・・・?何、日野さん泊まるの?」
 やっと俺が口を挟める間が出来た。
「だから?お前には関係ないから。香穂もこいつのことは気にしなくていいぞ?」
「するよ!!」「いや、してよ!?」
 思わず被る、二人の声。
 当然だろう。なんで、無視されそうになるんだよ?!
「あー、分かった、分かった。まあとにかく泊まってけって。父さんたちには俺から言っとく」
 状況が飲み込めないまま、日野さんの泊まりは決定したらしかった。

 まあとにかく、とお茶を出して話を聞いてみれば。
 日野さんのご両親が今日から海外へご旅行に行かれてしまったらしい。で、いつものように家に帰ったら家が荒らされていた。ようは、泥棒に入られてしまったらしい。警察も来てちょっと慌しい状況だという。
 ご両親も連絡を受けて直ぐ帰ろうとしたらしいのだが、なんせ雲の上だ。帰ってこられるわけもなく、独りで過ごす破目になったらしい。
 だが、怖くなって兄貴に連絡したら、家に連れてこられたんだそうだ。

「日野さんの持ち物は、大丈夫だったんですか?」
「うん、取られるような物はなかったし。お母さんのジュエリーが幾つか盗られてたんだけどね」
「でも、命がとられなかっただけ良かったと思わなきゃいけないんでしょうね」
「そうだね」
 俺と日野さんがそんな話をしていると、廊下で父さんに電話していた兄貴が戻ってくる。
「泊まっていいってさ。・・・あの親父、香穂が泊まるって言ったら直ぐ戻るから、って言ってた」
「・・・・・・日野さんは両親に会ったことあるんですか?」
「5・6回ね。お姉さんにも会わせてもらったの。美人な人だねー」
 どうして俺は一度も会ったことないのに、姉さんまで会ってるわけ、日野さんに?
 視線でそう、兄気に訴えると。
「いつもいなかったんだよ、お前が」
 と答えられる。
「とか何とか言って、ただ俺に見せたくなかったんじゃないの?可愛い彼女を」
「彼女?!」
 日野さんが驚いたように叫んだ。
 こっちが驚きマスよ?
「違うんですか?」
「あははは、違うって。友達だよ、友達」
 兄貴にそっと視線をめぐらせて見れば、複雑な顔で彼女を見てる。
 ふぅん?付き合っては・・・ないんだ・・・・。
「へえ、兄貴、女友達なんていたんだな」
「うるさい、お前」
「あ、日野さん、お茶のお代わりいかがですか?」
「あ、頂きます」
「聞けよ」
 誰が聞くか。
 心の中でそう毒づきながら、日野さんにお茶を出す。
 まあ、でも珍しい。男友達ならいくらでもいる人だけど、女友達だけはいなかったからなー。昔、彼女に振られたのが、相当痛かったのかな・・・。ま、俺には関係ないな。
「ま、それはいいとして。香穂」
「ん?」
「次の最終セレクション、なに弾くんだ?」
「柚木先輩と同じ曲。子守唄だよ」
「へえ。同じ曲ねぇ」
 俺には分からない会話が始まった。兄貴と一緒でピアノを習っていた時期もあったけど、俺には合わなかったみたいで、直ぐにやめてしまった。
 今は勉強一筋。ほかに興味は無いし。

 そうしているうちに、父さんが、そしてそのあと直ぐ母さんが帰って来た。
 両親は本当に気に入っているようで、日野さんが泊まるのを全く止めなかった。それどころか、喜んでいたくらいだ。

「陸君、ゴメンね・・・・?」
「・・・いえ、大丈夫です。兄貴とは違うので」
「アハハ・・・」
 なんでこんな事になるのかな・・・・っ!?
 姉さんの部屋に泊まるはずだった彼女は、俺の部屋にいる。今日は姉さんが帰ってこない日だから、泊められるはずだったんだ。なのに、姉さんの部屋があまりにも汚すぎていて、仕方なく部屋のスペースに余裕のある俺の部屋。
 俺、普通の中学3年なんスけど。それなりに、際どい感情もあるんですけど。
「日野さんは、ベッド使ってくださいね。俺は平気ですから」
「え、私が下に寝るよ」
「まさか、女性を床で寝させるなんてこと、出来るわけ無いじゃないですか」
 ね?と、爽やかに微笑んで見せると、一瞬固まってから、くすくすと笑い出した。
「え、俺なんか変なこと言いました?」
「ううん、違うの。梁太郎と同じ顔で、そういう優しいこと言われると、なんかいいなあって」
「・・・・・兄貴のこと、好きですか?」
「え、違・・・・っ、いや、そういう意味で違うわけではなく、え、だからね?」
「落ち着いてくださいって」
 面白い人だなぁ。
 慌ててる姿が、可愛らしい。あ、よく見ると、睫長いんだ。てか、可愛い顔してるなぁ・・・・。兄貴も苦労するんだろうな、付き合ってから。
 平気で男の部屋に泊まっちゃうような人だし。・・・・ま、年下は男じゃないとでも思ってるんだろう。
「あーっ、でも言わないでね・・・・?」
「言わないですよ」
「・・・うん、好きだよ。優しいよね、基本的に。私、ホントに梁太郎には救われたんだよね」
 うわぁ、惚気てるよ・・・・。もしかしたら、この人が将来俺の義理の姉さんになるかもしれないんだろ。毎日聞かされるのかな、うわぁ、やだな。
 そう思った瞬間、何か冷たい物が心を掠めていった気がした。

「おはよう、香穂ちゃん眠れた?」
「おはようございます、お父様、お母様」
「おはよう」
 キッチンで料理を作っていた母さんは、日野さんに『お母様』といわれたのが余程嬉しかったのか、鼻歌まで歌ってしまっている。
 椅子に座り、新聞を読んでいる父さんも、母さんほど露骨ではないものの、顔にしまりが無い。
「梁太郎、おはよう」
「はよ。ほら、座れよ」
 ソファに座っていた兄貴は、わざわざ日野さんのために自分の隣を空ける。あーあー、まめなことで。
「陸、お前、夜日野に何もしてないだろうな?」
 呆れた顔で兄貴達を見下ろしていた俺を、兄貴が睨みつけてくる。
「何もしてないだろうな、って?どういう意味?」
「指一本触れて無いだろうな、って意味」
「梁太郎!?」
 声を低くしながら言ったせいもあり、兄貴の声は両親には届かなかったらしい。
「ああ、そういうこと。・・・・指一本ねぇ」
 思わせぶりに呟くと、兄貴はずいと身を乗り出してくる。
「何かしたのか?」
「だから、何をするの?・・・・・あ、そう言えば、夜煩くなかった?よく眠れたの?兄貴」
「・・・・・・・どういう意味だ。場合によっちゃ、殴るぞ」
「・・・・・・・・・・面白い」
 昨日の夜、俺がどんな思いをしたと思ってるんだ。
 隣には、可愛い女の子が眠っているのに。
 理性総動員だからな!?兄貴なんかのために、理性総動員!!少しは感謝したらどうだ?!
 このくらいの悪ふざけ、絶対に許される。

「お世話になりました」
 ぺこっと頭を下げる日野さん。
 今日も学校があるから、兄貴と一緒にご登校。
 父さんも母さんも、名残惜しそうに二人の後姿を見送っている。
「・・・お世話になりました、じゃなくて行ってきます、っていってくれるようになるのはいつなのかしらね」
「母さん、気が早いよ・・・・。まだ付き合っても無いんでしょ、あの二人」
「ええっ、そうなの?梁太郎、何してるのよー」
 そんな母親の姿を見ると、思わず苦笑がもれてしまう。
 近いうちに、付き合ってるって報告が来るんだろうな、あの二人。
 また掠める冷たい気配には、気付かない振りをしなければ。





たぶん、土浦の弟ってどんなのだろーと考えたことがきっかけ。
よく分からなくなりました。
しかも、名前勝手につけてしまってすいません。
オフィシャル設定が出たら、書き直します。
掲載: 08/05/06