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幸せな約束
「冥加、君宛に手紙、届いてるよ」
「はあ?」



 慌ただしく過ぎて行った今年の夏。
 全国の高校生が銀のトロフィーを目指し競い合った夏は、それこそ飛ぶように過ぎて行った。
 そして、残暑厳しい9月―――どことなく物悲しさが残る秋へと季節は移っていた。



「…俺宛なら、なぜ貴様が持ってくる?天宮」
「さっきちょっとした用で事務に行ってね。その時に僕宛の分を受け取ったから。ついでに持ってきてあげたんだけど?」
 いかにも「感謝してくれていいよ」と言わんばかりの天宮の口調に、冥加の眉間の皺が深くなる。
 天宮は流しているが、これがその辺の室内楽部員―――いや、天音学園生徒なら間違いなく逃げ出している。
「それに、七海の分もあるんだよね。これから部室に行くんでしょう?七海も来るから渡そうと思って」
「俺はまだ仕事が――」
「そんなにすぐ片づけなきゃいけないわけ?」
 すぐに片づけなくていい仕事はないに決まっている――と言いたいが、本来ならあと2、3日の猶予のある仕事ばかりだ。
「どうでもいいだろう。俺の仕事に首を突っ込むな」
「でも、今日は来てもらうよ。もう僕たち3年は引退だし。その引き継ぎもそろそろ考える時期だろ」
「……うるさい。………分かった。少し待っていろ。これだけは終わらせなければならない」
 頑として机から動こうとしない冥加に溜息をつく天宮だったが、諦めたように入口のドアに背を預けた。




 しばらく無言で過ごしたが、先に口を開いたのは冥加だった。
「…天宮。ずっとそこに立っていられるのも、見ていられるのも気が散る」
「だって面白いじゃない。君、気づいてる?以前より仕事をこなす時間が速くなってるって」
「そんなことはないと思うが」
 そういう間も、視線は手元だ。
 会話しながら資料を読めるのか疑問だが、できるらしい。
「それに、一層部活の指導にも力入ってるよね。しかも前みたいに切り捨てるばかりじゃなくて、欠点を指摘して直させるような方法になってきてる」
「―――何が言いたい?」
 視線を上げ、射るように天宮を見る冥加だが、睨まれた本人はどこ吹く風でいつも通り微笑さえ浮かべている。
「それは君が一番分かってるだろう?そうそう、さっきメールが来てね」
 誰から、とは敢えて言わずに話を進める。
「明日、どこかの誰かさんと夕食を一緒に食べるんだって、とても喜んでたよ」
「だからどうした」
「僕からのデートの誘いは断っておいて、こんな面白くもない男と出掛ける彼女の神経が分からないな」
 ここまで言われると、明らかに一人しか浮かばなくなってくる。
「君、デートのために仕事必死にこなしてるんじゃないの?」
「…………馬鹿な。下らない話は終わったか?」
「…人のこと言う前に、君も動揺隠せてないってわかってる?」
 以前のお茶会の時の話を持ち出しての嫌味。
 言った本人は、冥加がどれだけ嫌がろうと知ったことではないというように、すでに視線をあらぬ方に投げていた。
 本気で言うだけ言って満足したらしい。
「―――貴様と話しているだけ時間の無駄だ。残りはあとで片づける。先に部室へ行ってやる」




 部室に着くと、そこかしこで既に練習が始まっていた。
 この夏はアンサンブルとして3人のみが選抜されていたが、本来は室内楽部だ。
 いくつもアンサンブルグループは存在しているし、曲によってメンバーの編成も違っていて、数多くのパターンが存在する。
 今日の練習メンバーが明日の練習メンバーと同じであるとは限らない。
 そのバリエーションの多彩さで、部全体の質の向上を目指していた。
 冥加と天宮、二人が部室に踏み込んだ瞬間に緊張した空気に包まれた部室だが、本人たちはそれが当然だというように全く気にかけていない。
「七海、ちょっといいかな」
 ちょうどヴァイオリンの2年生とセッションを始めようとしていた七海に天宮が声をかける。
「部長、天宮さん!どうかしましたか」
「ちょっと手紙が届いて。七海は借りるね。各自練習再開して」
 天宮の言葉に、七海がきょとんとする中、部員たちはそれぞれの練習に戻って行った。



「手紙、というか写真ですか」
「うん。差出人はニアだね」
「ニア――ああ、あの報道部の女か」
 星奏学院報道部の支倉仁亜。
 最後に会ったのは、ファイナル直後のパーティーだっただろうか。
「そう言えば写真を撮ってくださいましたね」
 部室の端にあるテーブルを3人で囲み、それぞれが天宮から手紙――もとい、写真の入った封筒を受け取る。
「写真以外は手紙っていうより、もうこれメモだね。僕のには、『あまり彼女をいじめてやるな』…だって。いじめたことないんだけど?」
 そんなことを言ったことはあるけど、と小さくつけたされたことに七海は苦笑しか出てこない。
「え、ええっとですね。オレの方には『負けるな』………何に?」
 負けるな、とは何のことか。
 さっぱり分からないと言った表情の七海に天宮が笑う。
「それはもちろん、この怖い部長にって意味じゃないの。ずっと冥加が執着してきた女の子を好きになるなんて、七海も命知らずだね」
「えっ…ええ?!」
 冥加は面白いくらい狼狽する七海を一瞥すると、興味を失ったように自分宛の封筒からメモを取り出す。
「…………下らんな」
「…何が書いてあったんです?」
 恐る恐る尋ねる七海に、メモを投げるように渡す。
「『実はマメなところもあるんだな。見直したぞ』………ですか」
「これは、ここ最近できるだけ小日向さんに会おうって言って時間を取ってることについてかな?」
「そうなんですか!?」
 驚く七海に天宮がまた笑う。
「うん。でも、僕も何度か出掛けたけどね。ギリギリ海に間に合う時期だったからよかったよ」
「天宮さんも?……オレ、出掛ける口実が掴めなくて全然誘えてない…」
「七海はそれでこそだよ。そのまま諦めるといいんじゃない?」
 さらっと辛辣な言葉を吐く天宮に、七海はうろたえ、冥加は深くため息をつく。
「天宮。あまり七海をからかうな。七海、貴様もあいつは忙しいのだと察しろ。遊んでいる余裕はないはずだ」
 どの口がそう言うんだ、という言葉は必死に堪えて俯く。
――部長と天宮さんが誘うから小日向さんの時間がなくなるんじゃないのか?
 とは、賢明な部員なら誰も口にしないのが常識だった。
「それより」
 七海をからかうのにも飽きたらしい天宮が、さっそく自分宛に送られてきた写真をテーブルに並べ始める。
「へえ、20枚は下らないのかな。彼女には感謝しなくてはね。――うん、可愛い」
 かなでとのツーショット。
 かなでが一人でヴァイオリンを抱きしめたもの。
 かなでのヴァイオリンに天宮がピアノの即興を加えた、パーティーでの余興の一コマ。
 一緒に食事をしながら話している写真もある。
 どれも綺麗に撮れているものばかりだ。
「これなんか、彼女がすごく綺麗だ。以前撮ったプリクラも可愛かったけど、こっちもいいね」
 満足そうに頷く隣で、七海も覗き込むように身を乗り出す。
「わあ、これも可愛いですね。ヴァイオリンを持ってるこれとか…あぁ、これも可愛い」
 どれを見ても可愛いとしか言えない。
「これ以上はだめだよ。勿体ない。じゃあ、次、七海の見せて?」
 有無を言わせず回収してしまう。
「えーっと、こんな感じですね」
 並べられた写真は、やぱり20枚ほどだろうか。
 天宮同様、かなでとのツーショット写真数枚。
 かなでのみの物も数枚と、構成はほぼ同じらしい。
「余計なのも交じってるけど、小日向さん、やっぱりキラキラ輝いて見えるようだね」
「うう…余計って言われた…」
「あの日のヒロインはまさに彼女だったからね。今でも、僕の中のヒロインは彼女以外いないんだけど」
「天宮…その、寒くて凍えそうな台詞はやめろ」
 心底汚らわしいものを見るような視線を受けてなお、天宮は続ける。
「何を言ってるの?いきなり『ファムファタル』なんて言い始める君よりはずっといいと思うけどどうかな?」
「…っ」
「ええっと……?」
 フォローできずに固まるしかない七海だ。
 ファムファタルなんて言ってたっけ?
 って言うか、そんなこと言っちゃう性格でしたっけ冥加部長?
 部長にそこまで言わしめる小日向さんって…。
 でも、オレだって小日向さんを諦めるのは無理だし…。
「…七海?百面相してるけど大丈夫かい?」
「え、あっ、はい!大丈夫です!」
「ならいいけど。はい、次は冥加、君の写真見せて?」
「別に見せるほどのことはないだろう」
 即答で冷たく返されたくらいで折れるはずがないのが、天宮だ。
 こういう態度の方が彼を楽しませるらしい。
「僕たちのは見たでしょう?それで自分だけ見せないっていうのも卑怯じゃない。そんな器の小さな男だったの?君は」
―――分かっている。これが安い挑発だとは分かっている。
 が。
「……どうせ貴様たちと同じような写真だろう」
 言われっぱなしは性に合わない。
 どうでもよさ気に写真の入った封筒ごと天宮の方に投げやる。
 それを大して気に留めずに、いつもの微笑でいそいそと開け始める。
「……ふぅん?」
「え、どうかしたんですか?」
 疑問とともに天宮の手元を覗き込む。
 写真がやはり20枚ほどあるだろうか。
 だが、枚数に違いはなくとも構成が随分と違っていた。
「これは…あの時のツーショットで……………あれ?」
「僕たちには3枚4枚くらいだった小日向さんだけの写真だったのに、冥加にはかなりの枚数くれてるんだね?」
「…そうなのか?だが、俺は知らん。俺がそうするように命じたわけではない」
「ニアは冥加に言われたくらいで枚数変えるような、繊細な子ではないけどね」
 冥加部長に言われたら、繊細ではなくても枚数くらい変えてしまうのでは?
 やはり、賢明な七海はその言葉を飲み込んだ。
 とても突っ込みたかったけれど、この二人には突っ込めない。
「ああ…でも、うん。面白い写真も多いよ。君も見てみるといい」
 そう言って、楽しげな笑みを浮かべて冥加の前に数枚の写真を並べてやる。
「…………これは?」
「こっちが聞きたいくらいだけれど。君、どれだけ小日向さんを見つめてたの」
「そんな馬鹿げたこと、俺はしていない」
 どれもが、誰かとかなでが談笑しているところを離れた所から見つめる冥加、という構図ばかりだ。
 かなでの相手がどれも違っている。
「これは、星奏の部長と神南の部長だね。あ。こっちだと…どこだっけ。至誠館?の部長もいるね」
「その3人と小日向さんを見てる、冥加部長……」
「この夏、小日向さんに関わった主な学校の部長クラス勢揃いじゃない。豪華な写真だね。まぁ、余計だけど」
「そんな天宮さん…」
「でも、僕は彼女に焦がれるみんなの気持ちは理解してるつもりだから、しばらくは放っておいてあげるよ。しばらくは」
 頭痛でもしているのかというくらい苦々しい表情で写真を凝視し続ける冥加。
――それほど気にしていたつもりはなかった。
 確かに、あいつに囚われたような――いっそそうしてくれとさえ思う感覚には陥ったが。
「冥加。ただでさえ眉間に皺を寄せた顔しか見せない人間が、さらにって怖いよ」
「貴様が怖がるものなんて何もないだろうが」
「冥加は怖くもなんともないけど、小日向さんに嫌われるのは、すごく怖いよ。……とてもね」
「そんな話はしていない」
 しみじみと、何かを噛みしめるように呟いた天宮を一刀両断する冥加のセリフに、関係ない七海の方がハラハラする。
 これだからこの二人は尊敬はできても、そばにいるのは辛いんだ…!
「えっと!ほ、ほらこれなんて、天宮さんと小日向さん、僕の3人で映って…映って…って?なんで部長いないのに送られてきてるんだろう?」
 これ、部長の方に交じってましたよね?
 確認するように冥加の方を向いてみれば、今までの不機嫌さとは比べ物にならないほどの不機嫌さだ。
 そりゃ仲間外れ状態だけど!
 でも写真好きじゃないって言ったのはあなただし!
 小日向さんとのツーショットも最初は全力で嫌がってたし!!
 言いたいことをこらえて天宮に助けを求めるように視線を振れば、……愉快そうな天宮がいた。
「へぇ?ほら見てよ冥加。これ、僕の隣ですごく楽しそうに彼女笑ってくれてる。―――羨ましいかい?」
「まったく」
「小日向さんは、こんな面白くない男と出掛けて、何が楽しいんだろう…」
 というより、冥加部長にそこまで喧嘩売ってあなたこそ何が楽しいんだろう…。
 七海の心配をよそに、天宮は止まらなかった。
「七海と出掛けても結局面白くなかったってことはあるかもしれないけど、君の場合は出掛ける前から分かりそうなものじゃない。絶対面白くならないし。不愉快なことだらけだと断言してもいいくらいだし」
「失礼にもほどがあるその口、いい加減に閉じたらどうだ?」
「自分で自覚があるからって、人に当たらないでくれるかな」
「当たる当たらない以前の問題で、人間としてその態度はどうなのかと言っている」
「じゃあ言わせてもらうけど、君のその高圧的な態度も、人間としてどうなのかって考えたことある?」
「これが性格だ。いまさら直せるものでもないし、直すべきものだとも思っていない」
「これに付き合わされる小日向さんが可哀想だよ…。今度甘いものでも食べさせてあげてって言っておこうかな」
 最後に何を言うかと思えばそんな子供でも思いつかないようなところに落ち着くのか。
 呆れてものが言えない、とはこのことだと噛みしめるが、これは言っておかなければなるまい。
「俺に食えないものなどない」
「じゃあ今度、小日向さんとケーキワンホール作ってくるよ。言ったよね、食べられないものはないって」
「……作ってくる?」
「彼女にも会えるし、冥加にも嫌が…プレゼントできるし」
「今、嫌がらせって言おうとしませんでしたか?」
「気のせいだよ」
「……。で、でも、小日向さんの作った料理食べられるっていいですね。甘さを控えれば、冥加部長も食べられ…」
「俺に苦手な食い物などない」
 再度繰り返す冥加に、一層笑みを深める天宮。
「本当に言い切ったね。彼女、甘いもの好きそうだし、相当甘くなるんじゃないかな」
 一旦切ると、眼だけが笑ってない笑顔でとどめをさす。
「楽しみに、待ってるといいよ」






 後日。
「そんなことがあったの?」
「オレ、もうあの時は胃が痛くって…」
「じゃあ、天宮さんに一緒に作ろうって言われてたけど、やめた方がいいのかなぁ」
「それはそれで天宮さんがあとで怒るような…?」
 慌てて天宮の怒りを回避しようとする七海だが、相手はかなでだ。聞いてはいない。
「でも、甘いもの食べてる冥加さんって可愛いし」
「可愛い?」
「前、カルメ焼きをあげたら無言で黙々と顔で食べてたよ」
 きっと喜んでくれると思ってあの人にあげたんだろうなぁ………。
 嫌がらせにしかならないと分かっている七海は、冥加に心から同情する。
 オレだって、たとえ嫌いなものでも、小日向さんがくれれば食べちゃうような気がするし…。
 冥加が同じような思考をするかどうかは分からねえけどな!という突っ込みを入れてくれそうな響也はいないので、誰も突っ込んでくれない。
「あ。じゃあ、七海くん一緒に行ってくれる?」
「いいですけど…どこへ?」
「ケーキ買いに行こうよ。枝織ちゃんにも会いたいし、天音に届けたいなって」
「えーっと、それって」
 もしかしてデート?


 いつも胃痛と頭痛をもたらしてくれた先輩たちが初めてくれたのは、幸せな約束のきっかけだった。




 12人同時EDを見た時に思ったのがこれでした。
 天音って本当に萌えるよねと言う、それだけで書いた気がします。
 3年二人に振り回された感があるので、最後は強引でもいいから
 七海を幸せにしてみました。先輩二人はイラついたと思う(笑)
掲載: 10/03/20