もうすぐ帰国ですね。迎えに行きます。
手紙を半分まで読んで、ため息が漏れた。
日野から送られてきた手紙には、そんな言葉がほとんどだった。
ずっと自分自身が厄介な相手を恋人にしちまったと思っていたが、そうでもなかったらしい。
確かに相手は教え子で、まだ高校3年で卒業までは半年以上ある。
どう考えても30過ぎた男には厄介としか思えない相手だ。この年で独身なのに、結婚前提で付き合えない相手を選ぶ自分自身が分からない。
それでも、こんな手紙を読むと思ってしまう。
本当に厄介な相手を選んだのは、俺じゃなくあいつだろうと。
俺と日野の歳の差って幾つだ。
しかも、選んだ男は高校教師で、下手したら自分の取っている教科を教えかねない相手だ。今年はなんとか3年生の音楽担当から外れているらしいから安心だが。
そして、ようやく――と思ったら、いきなりアメリカ行きが決定していた。
よく文句の一つも言わずに待っていてくれるものだと思う。
他の男を選んでもいいんだ。
俺なんかじゃなく、もっとお前の傍でお前のことだけ考えてくれる男を選んだっていいんだよ。
そういつも思ってるのに、日野からの手紙を読んだら言えなくなる。
電話越しの楽しげな声を聴いても、その言葉が喉に痞える。
未来のあるお前に俺がしてやれることは少なすぎる。
たとえお前が自分の音楽界での将来なんか考えてないとしても、それに甘えて気づかない振りをしていてはいけないんじゃないだろうか。
本当に日野のことを想うなら。
「・・・・・・・・・厄介すぎるだろ」
穏やかで、ただ大切にしていこうと思える恋愛であったとしても、それだけでやっていけるものではなかったのかもしれない。
これからどうしたって音楽界とは付き合っていくことになるだろうあいつを、どこまで支えられるかなんて分からない。
以前の青臭いほどに感情だけの恋愛じゃないのなら上手くいくと思っていた。
でも、どんなに大切にしていても、大切だからこそ手放すべき物もあるのだと気付かされる。
思わず、自嘲的な笑いが漏れる。
あんな子供にそんなことを気付かされてどうする。
出逢ったばかりの頃は、自分が日野にこんな思いを抱くなんて思ってなかった。 何事もなくコンクールを終わらせてくれと、ただ思っていた。一番の問題児は確実にあいつで、あいつさえ乗り切ってくれればコンクールは9割以上穏便に終わるはずだったのだから。
手が掛かる生徒ほど可愛いというやつだろうか。
それを言ったら火原辺りも当てはまりそうだ。何だかんだで、面倒くさい性格の柚木辺りも手が掛かる。放っておけばいいのかもしれないが、そうも行かない気にさせられる。
他のメンバー達もそうだ。教師らしくなんてしたくもないのに、気付くと手を貸してやりたくなる。
こう思うようになったのもきっと日野のせいだ。日野があまりにも素直に頑張ろうとするから。それを助けてやりたくなるのと同じように、他の人間にも手を貸したくなる。
きっと自分自身がどんなに面倒だと思っても、この変化はプラスの変化なんだろう。
手放さなければいけないのかもしれないと思う相手は、ここまで自分を変えてくれて、何よりももうなくなっていたと思っていた感情を呼び覚ましてくれた。
「ありがとう、かな」
言いたい言葉はそれだけじゃないけれど、一番に言いたい言葉はきっとそれだろう。
ふと目を留めたのは、ぼうっと見ていた手紙の残りの文章。
『先生にもうすぐ会えるんですね。
治療法のこととか、私にはちょっと難しかったから、先生が戻るまでにもう少し勉強したいなあって思ってるんですよ?
ちゃんと先生がやってること分かりたいから。音楽のことも、治療のことも。
もし、先生の話が分かるくらい勉強できてたら、褒めてくれますか?
褒めてくれるなら、私、今以上に頑張れそうです』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ああもう日野―――いや、香穂子は。
思わず顔に片手を当てて、俯いてしまった。
何恥かしげもなくこんなこと書いて来てるんだ。
先ほどまで、すぐに手放せない自分を責め立てていたっていうのに。
「馬鹿じゃないのか、俺は・・・」
俺のことなんて心配してないで自分のことだけやっていればいいのに。そうしなくてはいけないはずなのに。
空港で抱き合う恋人同士は傍から見てありだろうか。
なんとなくなしだなと思って、一人で凹んだ。