「えー、メアドも教えてくれないの?連絡できないじゃん」
「する必要ないだろー?分からないところあったら、いつでも学校で訊けるんだしさ」
全然分かってない。
たった2週間だよ。たった2週間の間に、一緒にいられる時間はどれだけだと思ってるの?
つい2日前。
私の通う星奏学院高等部音楽科2年B組に、教育実習生がが来た。
私よりも4歳年上の、同じく星奏学院大学部3年。数名の教育実習生の一人だった。
ほぼ全員が普通科への実習だったにもかかわらず、一人だけが音楽科だった。それが、火原和樹先生。
先生とは思えないほど、天真爛漫と言うか、元気と言うか。
母校と言うほどでもないけど、元々いた場所だっただけあって、お世話になった先生も多いらしい。気付くと、なぜか生徒と一緒に怒られてる火原先生の姿があった。
一目ぼれ――たぶん、その言葉が一番近い。
一目ぼれとまでは言わないけど、それでも少し話した瞬間に、好きになったことだけは確かだ。
同じ楽器を専攻していて、先生の高校生時代と同じようにオケ部に入っている。共通の話題があった。
そんな繋がりで、たぶん、私はクラスの誰よりも火原先生と仲がいいと思う。
放課後。火原先生の周りから人が消え始めた頃、近寄ってメアドを教えてくれとせがんだ。
その答えが、冒頭。
「だって、家で分からないところ出てきちゃったらどうするの?」
「だからさ、それは次の日会えるじゃん」
「えー・・・」
別に本当に問題が訊きたいわけじゃない。先生、本当に分かってないの?私がただ先生の連絡先が知りたいってだけだって、分かっててはぐらかしてる?
「そんなに教えたがらないなんて、何、彼女がうるさいとか?」
「へっ、彼女!?」
「いるの!?」
その反応が、いるんだかいないんだか、訳分からない反応だった。どっちなの!
「彼女って言うか・・・・うん、まあ、いる、かな」
「何それ」
微かに動揺した。大丈夫、ばれてない。
「うーん、俺はね、大好きだけど、香穂ちゃんはどう思ってるのかなーって。あ、香穂子って言うんだよ」
「・・・ふーん?」
何、その満面の笑顔。少しは人の気持ちに気付いてください、先生。
その時、メンデルスゾーン「春の歌」が流れ出した。
「やっばい、マナーにしてなかった!」
「最悪じゃーん!」
「あはは、そうだね。今のは、先生たちには秘密だからね!」
そう言って笑うと、ケータイの画面を食い入るように見つめ始めた。
何をそんなに真剣に見る必要が?
「誰から?」
「あ、いや・・・・・・香穂ちゃんから・・・」
あー・・・・・そうですか・・・。
「なんだって?」
「うん?今日、いつものところで会いたいって。もう大学終わる時間だしなー。土浦くんが一緒らしいから・・・・・・まだ仕事できるかな」
そう言うと、いそいそと立ち上がって荷物をまとめ始めた。
「ちょ・・・っ、先生?まだ、私の話終わってないんだけど!」
「え、何だっけ」
「ケータイ、連絡先」
教えてよ、と言うと、本格的に困った顔になった。
「うーん、ホントごめん。君一人に教えるわけにはいかないでしょ?分かってよ。じゃ、部活頑張って!」
じゃあね、と振った手を見つめながら、さっきの会話を思い出していた。
『香穂ちゃん』
『いつものところ』
『土浦くん』
『大学』
全部全部、私の知らない言葉だ。知らない人、知らない場所。
私には何の意味も持たない言葉。
それでも、火原先生にはちゃんと意味があって、大切な場所や人なんだ。
―――――遠い。
ふと浮かんだ言葉はそれだった。
遠い。
大学生と高校生。たった4歳しか離れてない。
それでも見ている世界はこんなにも違う。
大人は子どもが思っているほど大人じゃないって言う。でも、違うと思う。
だって、これだけ世界が違ってしまっているんだから。
きっとこのあと、先生は香穂子さんに会うんだろう。
私の大好きな満面の笑顔で。
それを思った瞬間、辛くなる。
片想いって、思ってたよりも辛いのかもしれない。